「もう二度と」
ゴールデンウィーク明けの五月中旬。世の中では『五月病』が毎年のようにトレンドに上がるが、私は有給をとって帰郷していた。帰郷といっても、都市圏の郊外で無機質な四角形の建物ばかり軒を連ねているが、それでも懐かしさが滲み出てきている。今では珍しい個人経営の本屋や幼い頃からあったインドカレー屋、そして家の近くにある千円カットなど、初日は街道沿いを歩き回った。
今回は贅沢にも平日五日間を休みにして合計九連休。いつぞやの十連休に匹敵する程の休日をゆったりと過ごすことが出来る。そんな周りとは違う優越感と故郷にいるが故の懐かしさに体を沈めていた。
夜になり、夕食や風呂を済ませて布団に入る。明日は何をするかを呑気に考える暇があることに大いに喜び、寝られる気配は無かった。そんな喜びに浸っている中、母校を見て回ろうと思い立った。そうだ、小中学校は歩いて直ぐの場所にあるのだからふらっと寄ってみよう。そう思い、興奮気味の自分を落ち着かせて眠ることにした。
翌日、身支度を早めに整えて昼前に出ることにした。久々の母校である。頭の中は空が余りにも青く輝いていたあの頃の思い出が蘇っていた。私の小学校では鶏を育てていて、私は飼育委員会に入っていた。最初は鶏に対して恐怖心があったが、六年に上がる頃には慣れていた。
中学校では科学部に所属していて、化学部という名称は名ばかりで、ずっと遊び呆けていた。定期的に賞味期限の切れた砂糖や、果たしていつ買ったのか忘れた重曹を使い、カルメ焼きを作ったりと、数多くの思い出を振り返りながら玄関の扉を開けた。
空は思い出に似た青く輝く空。それだけで私は十分に満たされた。その時だけは、私は子供に戻っていたのかもしれない。「とにかく懐かしい母校を一目見たい」と、気持ちが私の足を進ませる。
懐かしい通学路に思いを巡らせ歩いていると、ある工場の前で足が止まった。小学校の頃、投稿している時によく挨拶をしてくれた従業員のおじさんが務めていた工場だ。
「もしかしたらまだ居るのかもしれない」
そんな一縷の望みに賭けて工場内をちらっと見たが、おじさんは見当たらなかった。当時、既にかなり歳をとっていたため、退職していてもおかしくないだろう。そう自分に言い聞かせたが、少し心にモヤが残ってしまった。
気を取り直して小学校へと向かう。もう校門は目と鼻の先である。近づく度に足取りは軽くなる。そしてようやく着いた時、思わず立ち止まってしまった。校門のすぐ近くにあった飼育小屋が倉庫に変わっていたのだ。それは遠回しに小学生の頃に面倒を見ていた鶏の死を私に告げていた。
冷静に考えてみれば、私が入学した時から既に鶏は飼育小屋に住んでいたのだ。死んでいてもおかしくない。そう言い聞かせているのに、心のモヤはちっとも収まってくれない。一旦、小学校はここまでにして中学校に向かうことにした。
中学校は特になんの変化も無かった。ただ、小学校でも言える事だが、私の覚えている先生はもう誰一人としていなかった。校舎は変わらずとも中身が変わってしまったこの中学校は母校と呼べるのだろうか。私の心は叫んでいた。二度は無いと。
私は何かを諦めて家に帰ることにした。もう二度とあの頃の皆と集まり、語り合う日は来ないのかと。確かに同窓会で集まることはあるだろう。だが、私が求めているのはあの頃の私たちであり、今の私たちでは無い。こう思っているのは私だけだろうか。
私は、孤独なのだろうか...
了
3/24/2025, 1:42:57 PM