涙想々

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 ⸺ねえ明日さ。
 青と黒の革鞄が小石とともに目線の下を駆け抜けていく。カツン、と小気味よい音は、やがて水音を連れてくる。水没した小石が拾われることはなく、専ら興味の対象は言葉の方であった。
「明日、世界が終わるとしたらさ、どうする?」
 とりとめのない会話だ。小さな歩幅で進むには多少の時間を要し、されど新しい発見などそうありはしない毎日の通学路。そんな中での唯一の楽しみとも言える友との語らいには、深い意味は求められていない。要するに暇つぶしのその話題は、それでも頭を巡らせる価値はあったらしい。どこかから拾ってきたのだろう木の枝を、魔法でも編み出すかのようにくるりと回して少年は答えた。
「とりあえず、宿題は捨てる」
 思っていたより現実的な答えであった。
 確かに、明日の朝日を拝むことがないなら、課題を宿らせることもないだろう。なるほど、とひとしきり感心したところに、やはりというべきか横槍は入った。
「違うだろうよ! なんかもっとこう…楽しいこととかさ、これはやっとかないと、ってそういうさぁ…」
 大仰な身振りを見せたプレゼンターは、しかし回答者の顔を見て頬を膨らませた。
 笑いを奥歯で堪えながら、それでも口の端から漏れ出すものに気付いたのだろう。今度はじとりとした目を、突き出した唇にのせて言う。
「…んだよ」
「別に? 仕方ないから、世界滅亡まで寂しがり屋のお前と遊んでやるよ」
 相手の片肩をペしりと木の枝で叩く様子は、なるほど様になっている。片目を眇めて話す様もどこか大人びていて、背に負われている革鞄も形無しだ。
「頼んでねえっつうの! ていうか、俺が、お前と遊んでやるんだよ」
 体が素早くぐるりと回った。1回転した重心は前へ、広げられた腕は肩に。がしりと組み合った腕は、革鞄の中に詰め込まれた教材などより、よほど重いものだ。重くて、暖かいそれが絆足り得るのだろう。笑い声が重なって離れていく。
 意図せずに同伴した道は目的地までの道中。離れていく暖かさを横目に感じながら、可愛らしい動物があしらわれた門扉をくぐる。
「こんにちは。縁と和、迎えに来ました」
 身分証明書を掲げながら名前を出せば、確認する間もなく奥から軽い足音が響いてくる。
「みどりくん!」
「みどにい」
 それぞれの呼称に歩幅に声音。双子とはいえど一人の人間として自我を持っている以上、細かい差異が生まれる。我先にと靴箱を目指す双子は、慣れた手つきで静止される。
 ⸺連絡帳と、家に帰って渡すプリントと、あとは…。教諭の言葉とともに、二対の肩掛けカバンが膨れていく。よし、の掛け声があがると、一目散に双子が突進を始める。左側を縁が取れば、少しむくれた様子で和が右の手を取る。
「せんせい、さようなら」
 声を揃えれば出発の合図。門扉を逆にくぐり、道を進む。美翠の通う高校から家までの一本道に、双子の通う幼稚園があるため利便性が高い。たまには道を外して店にでも寄ってみるかと考えたとき、ふと思い浮かぶ、先程の光景。
「ねえ、縁、和」
 思い思いに今日の出来事を話していた対の瞳が二つ、こちらを覗き込んだ。
 明日、と発音しようとして、やめた。
「あそぼうか、家に帰ってから。お店に寄って、お菓子も買っていこう」
 瞳が輝いた。光が眩しい。なんで、どうして、と寄せては返す質問に、美翠は空を見上げる。
「俺、欲張りだから。最後の一日じゃ足りないよ」
 要領を得ない兄の発言になおも言及しようとする双子だったが、その言葉は空に消えた。骨ばって少し冷えた手が、ふわりと頭を撫ぜたから。本気で慈しむ心がなければ、この心地よさは出せないと、本能的にわかる。うっとりとした撫で心地に最小の疑心は晴れ、導かれるまま手をつなぎ、帰路を急く。
 何でもない三人の影が、ほんの少し長く伸びた。

5/6/2023, 4:20:12 PM