【本が擦りきれるように】
喉を突き抜けるような潮の匂い
太陽よりも眩しい雷
痛く冷たい雨
自我を持ったかのように荒れ狂う濃藍の波
海を平らにする貴方の声
藍鼠の空が次第にアクアグレーに染まる
燦然と輝く炎を灯し、ギターとマンドリンを手にして歌ったカプチーノのような歌
色とりどりのジュース
くだらない話で笑うみんな
私達を見守っているのは青白く微笑む月
鉄琴よりも澄んだ星の音
貴方が最後に見せてくれた初めての虹
きっと忘れることのない、いや忘れたくない景色を見たのだ。
こんな時間がずっと続けば良いのに。
潮の匂い
眩しい雷
激しい雨
荒れ狂う波
海を平らにする貴方の声
次第に晴れる空
黄色い炎を灯し、ギターとマンドリンを手にして歌ったあの歌
おいしいジュース
笑うみんな
私達を見守っているのは青白い月
澄んだ星の音
貴方が見せてくれた虹
きっと忘れることのない、いや忘れたくない景色を見たのだ。
こんな時間がずっと続けば良かったのに。
前よりも詳しく思い出せない。
潮の匂い
雷
雨
波
海を平らにする貴方の声
空
炎を灯し、楽器を手にして歌った歌
ジュース
笑い
月
星音
貴方が見せてくれた虹
きっと忘れることのない、いや忘れたくない景色を見たのだ。
それなのに、私は多くを忘れた。
匂いが、色が、景色が、気持ちが思い出せない。
でも、貴方の姿や声、慈悲深い心ははっきりと覚えている。
忘れるはずがない。
青緑の波
海を平らにする貴方の声
青い空
楽器
貴方が見せてくれた虹
忘れてしまった。忘れるはずがないと思っていたのに。
私は許せない。
これらは遠い日の記憶なんかではない。
昨日のことのようなのだ。
もうほとんど覚えていない。航海の記憶は嵐に遭ったこと、乗組員たちとセッションしたこと、貴方のことしか覚えていない。
それすらも、細かい出来事が記憶から抜け落ちている。
空の色も楽器も、詳しく思い出せない。
貴方の姿を忘れた。
どんな服を着ていて、どんな髪色だっけ。
貴方の声を忘れた。
素敵だった。
美しかった。
でも、どんなふうに素敵で美しかったのか、思い出せない。
貴方の心を忘れた。
優しい人だった。
でも、貴方は何をしてくれて、何が私の心に深く刺さったのか思い出せない。
温かさの質感も忘れた。
でも、貴方という存在は覚えているのだ。
貴方がいた事。
私という存在。
これだけが、あの日の航海の記憶を現在に繋ぎとめているのだ。
貴方に会いたい。戻りたい。
7/17/2024, 2:01:17 PM