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残業後対話篇 今の私なら(テーマ 大好きな君に)

 これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。ひどく狭い範囲の話。



『もう君は恋とかしないのかな?』

 私の頭の中の想像上の友人、イマジナリーフレンドは、たまに、私がとても言えない恥ずかしいことを言い出すことがある。

(私の想像上の存在なのに。)

「もう40過ぎだ。そんな歳じゃない。卒業だよ、卒業。」

『何だろーね。卒業って。君、恋愛履修してないじゃん。むしろ退学じゃない?』

( 反論はしない。)




『あの頃の君はすごかった。脳内麻薬がドバドバ出ていて、むちゃくちゃ気持ちよくなっていたと思うよ。』

 そう。中学校で初恋なるものを体験したとき、私はあまりにも強い恋の痛みに、私の頭はどうかしてしまっていた。
 まあ、現実的には「 ろくに話もできなかった」というだけだけど。

 その頃、イマジナリーフレンドは私の頭には生まれておらず、影も形もいなかったはずだが、私の想像上の存在である以上、私の記憶には当然アクセスできる。
 人に言えないような経験や思いも全てオープンというわけだ。

(脳内麻薬って……。すごい表現するね。あと、それだと、別に彼女自身は必要なくて、脳内麻薬が必要だったって言っているみたい。)

『そう言っている。だから、君がもし彼女と付き合えたとしても、脳内麻薬が出なくなったら、自然消滅していたのでは?』

 今日のイマジナリーフレンドはひどい。
 全然フレンドリーじゃない。

(……。付き合っているうちに、愛に変わるとか。)

『家族になるって奴だね。そうかもしれない。そうすると、恋心はそこに至るためのスタートダッシュってわけだ。』

 そういう解釈も、まあ、あるかもしれない。

『そうすると、恋心は退学しても、何らかの心のエンジンがあれば、家族は作れる、ということかな。』

(たぶん。)



 今日のイマジナリーフレンドは、何がいいたいのか。

『あれだよ。それが君に分かっていないということは、君自身にも私自身にもわかっていない。話題の方向性がないってことだ。』

( ……。じゃあ、この話題はこれでおしまい、ということで。)

『いや、ちょっと待ち給え。』

( 何か?)

『偶然の産物から何かが生まれることもある。もう少しだけ続けよう。』

 今日のイマジナリーフレンドはしつこい。

『恋に代わるエンジンとは、即ち『利』があるのではないか。』

( 利?)

『恋心は退学ということだから、容姿以外で……例えば、料理がうまい。掃除が得意。両親の面倒を見てくれる。』

 退学とか言わないでほしい。

 イマジナリーフレンドの言う、それらは確かに利ではある。

(いや、こちらに利があっても、向こうがこちらと一緒になる理由がないじゃん。)

『それはほら、給料とか。』

(つまりATM)

『いや、キチンと対価を提供するならATMではないでしょ。利害の一致。それはそれでいいと思うけど。昔多かったお見合いなんて、大体そういうギブアンドテイクでしょ。』

 話はそこで終わり。


 そのはずであった。




 翌日の昼休憩。

『あ、脳内麻薬。』

 会社近くの道で、件の初恋の人と、バッタリと顔を合わせてしまった。

「やあ、久しぶり。」

(しかも覚えられてるし。)

 ほとんど話したことがない私を、彼女はきっちり覚えていた。

 さらに言うと、彼女の足元には小さな女の子がつかまっていた。

 昔の彼女の面影がある。

「久しぶり。元気?」

 何か、話してみる。

(若い頃の私では口に出せない、軽口。)

『いや、今のは挨拶だよ。軽口とかじゃないよ。硬すぎ。』

「ボチボチね。この辺に勤めてるの?」

「ああ。あのビルなんだ。」

 世間話はほどほどに捗った。



『楽しかった?』

(正直に言って、すごい楽しかった。)

 仕事に疲れていたはずなのに、いや、むしろ仕事に疲れていたからか、実に久しぶりに胸が暖かくなり、表現しがたい恥ずかしさともどかしさがある。

『君の恋心は退学じゃなくて休学だったね。』

 表に出ないイマジナリーフレンドは気楽なものだ。

(いや、彼女の子ども見たろ。結婚してるのも知ってるし。)

『いいじゃん。家庭を作るわけじゃないけど、君の幸せについて、「利」以外の答えだ。』

(不倫が?)

『いや、不倫じゃないよ。単にたまにあって立ち話するだけさ。何の後ろめたいこともない。』

(それだけでいいわけ?)

『いいんじゃない?脳内麻薬は出てたし。』

(いやでも、彼女に迷惑が)

『向こうから話しかけてきたろ。退屈な日常の中で、たまに昔の知り合いと話をするのも、1つの楽しみなのでは?』

 それでいいのだろうか。



 人間関係は1か100かではない。

 80でいい。それもだめなら70で、それも無理なら60でもいいのだ。

 人と人との関係だ。

 夫婦だって、親子だって、100点満点とはいかない。

 それでも、100点が取れなくても生活は、人生は続く。

 だから、どうせ一緒にいるなら好きな人といたい。

 100点が取れないからという理由で好きな人を諦めたのに、好きでもない人と60点の家庭を築く?

 実に馬鹿な話じゃないか。


 たったそれだけのことを悟るのに、長い年月が必要だった。

 成長して、挫折して、諦めて。

 そして悟る。

 相手と自分の気持ちの中間点を見つけて、そこに気持ちの仮設基地を置く。

 慌ててはだめだ。


 少しずつ気持ちを確認して、少しずつ相手にも気持ちを開示して。

 相手が受け入れてくれるようなら、受け入れてくれるところまで、距離を近づけていく。

 どこかで「これ以上は嫌」と言われるのであれば、そこで終わり。

 それだけでも、話すことすら稀だった昔とは、大きく違うはずだから。


『まあ、この年になると、そういう着地点しかないよね。』

3/5/2024, 2:21:53 PM