vivi

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【勿忘草(わすれなぐさ)】

東城会の大幹部である父の威厳を保つため、幼い頃から家は立派な日本家屋だった。庭には鹿威しや飛び石などがあったが、それよりも春になるとぽつんと咲く白色や青色をした小ぶりの花の方が大吾は好きだった。盆栽や大きな木々に囲まれ居心地の悪そうなその花を、母はまるで父の目から隠すように奥まった場所に鉢に植えて大切に大切に愛でていたのを覚えている。春になると咲き始めるその花を愛おしげに撫ぜる母に「このお花の名前はなあに?」と尋ねたが、歳を重ねた今となっては母が答えてくれた名前を忘れてしまった。

大吾は仕事で県外に来ていた。素朴な町だ。この閑静な空間が心地よい。
車窓から町並みをぼうっと眺めていると、小さな花屋が視界に飛び込んできた。思わず大吾は運転手に「停めてくれ」と声をかける。運転手は戸惑いの声をあげるが、もう一度「停めろ」と伝えると静かに車を寄せ停車した。
扉を開けた護衛に「着いてこなくていい」と命令し、困惑する顔たちを無視して花屋へ向かう。
花屋の店員はこちらを警戒と不安を抱えた表情で見ている。それはそうだろう。どう見てもカタギではない人間がこちらへ向かってくるのだから。
大吾はそんな店員に内心苦笑しつつ、大吾はなるべく穏やかに、記憶の中にある花の特徴を店員に伝えその花の名前が知りたいことを伝えた。すると花屋の店員は、「ああ、あれですね」とようやく顔をほころばせた。

「勿忘草だと思いますよ」
「わすれなぐさ?」
「はい。春に咲くお花でピンクや白色の種類もありますが、青色がとても美しいんです。このお花があるだけで花壇が華やかになりますよ」
「そうなのか。確かに家に咲いていたものも綺麗だったな」
「育て方も比較的簡単な方なので、初心者さんにもおすすめのお花です。花言葉は『真実の愛』などもありますが、わすれなぐさという名前にもあるように、『私を忘れないで』という意味もあるんです。あ、ちょうど昨日入荷したんですよ」

花屋の店員が持ってきた花は記憶の中にあったそれで、大吾は青色の小さな花束をひとつ購入して店から出た。

そわそわとしていた護衛たちは、大吾の姿が見えるとほっと息を吐いた。そのまま車に乗り込み、滑らかに走る車内で花を覗く。
母がしていたように触れてみても、ごつごつとした手に可憐な花は不釣り合いで苦笑が溢れる。

「私を忘れないで、か・・・」

母の背中と、それからひとりの男が瞼の裏に浮かぶ。

忘れられるわけねぇだろ、峯。

そう心の中で呟いて、大吾は感傷に浸りそうな自分を振り払うためにシートに身を預けて目を閉じた。

2/2/2024, 11:08:44 PM