はろ

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 4月は、うさぎの季節だ。

 リノリウム張りの床の上をそろそろと歩く。何ひとつとして見落とさないように、注意深くあたりを見回しながら。
 とはいえ、廊下に特別何があるというわけでもない。あるといったら、壁に備え付けられた『消火用散水栓』と書かれた鉄の赤い箱くらいだろうか。
 まさかここにはないよな……いや、でも、アリサならやりかねない。そう思いながら、私は箱の扉をすこし開いてみる。その途端、廊下に鳴り響くけたたましい非常ベルの音。
 即座に閉じるとピタリと止まったが、近くの教室から教師が顔を出して、呆れたような目で睨まれる。『常識的な振る舞いをなさい』と叱られ、私は従順に謝るふりをした――そんなことを言われても、アリサ自身があまり常識的でない以上、仕方ないではないか、と思いながら。

「一体どこにあるのよ。どこに隠したのよあいつ!」
「トイレのタンクまで探したんだけど!でも無い!」
「そもそも誰があいつを儀典委員になんかしたんだよ!命がけで止めろよ!」
「もう無理、リカが探してきて。もうリカにしかわかんないでしょ、こんなの」

 うんざりした様子の同級生に囲まれ、詰めるみたいにそう言われた私は今、何度目かの捜索に出ている。何を探しているかと言えば――卵だ。穴を開けて、中身を抜いて、乾かして、それに絵の具で美しい模様をつけた、イースターの卵。残された卵は、もうあとたった一つしかないらしい。

 新学年が始まってすぐの時期ではあるけれど、聖アウグクチヌス女学園で最も重要視されるのはイースターを祝うことだ。イースター――キリスト様が磔刑ののちに、復活された奇跡を祝う日。
 なぜそのお祝いに卵が関係するのか、宗教の授業でシスターに説明されたけれど、細かいことは忘れてしまった。ちなみに、イースターにはうさぎも関係しているらしいけど、それが何故なのかも忘れた。
 そしてこのイースターに合わせて、学園では重要なイベントが開かれる。それがこの『卵探し』。いわゆるエッグハントというやつ。
 イースターのうさぎが学園中に隠した7つのイースターエッグを、生徒たちが全員で探すのだ。イースターに最も近い4月の金曜日の午後の時間をまるごと使って行われる大イベントであり、新入学生やクラス替え直後の生徒たちにとってはオリエンテーションのようなものでもある。これは基本的にクラス対抗で行われ、卵を発見できた7クラスにはご褒美として玩具入りのチョコエッグが振る舞われる。
 けれどみながこんなにも卵探しに必死になるのは、けしてチョコレートが欲しいことだけが理由ではなかった。

 卵を探して学園中をさまよいながら、私はアリサについて考える。アリサなら、卵をどこに隠すだろうかと。
 儀典委員なんか世界の終わりと引き換えにしてもやりたがらなさそうなアリサが、新学年の始まりに自ら立候補した時点で何かおかしいと気付いておくべきだった。
 ほかの6つの卵については、それぞれ別のクラスの入り口近くの廊下に、いかにも見つけてくださいとでも言わんばかりの様子で落っこちていたらしい。けれど7つ目がどうしても見つからない――それが見つからなければ、私たちのクラスはご褒美無しなのに。
 イースターエッグを隠す役割は、儀典委員の誰かに任されることになっている。その誰かが、イースターのうさぎになるのだ。そしてアリサがうさぎになるらしいよということは、少し前からクラスの中でも噂になっていた。

「ねぇアリサ、どうせならこのクラスの近くに隠してよ」
「イヤ」
「そう言わないで。どうせクラス全員、運命共同体なんだからさ。クソ寒いヨハネス堂でロザリオの祈りをやりたいわけ?素直にどこに隠したか事前に教えといてよ」
「いやよ、言わない」

 同級生たちに取り囲まれながら、小さな顔につれない仏頂面を浮かべて、かたくなに意地の悪い態度を貫いていたアリサの姿が思い出される。
 儀典委員たちは、エッグハントの勝者に密かにチョコレート以外のご褒美を用意している。それは、聖母月の5月に行われる儀式であるロザリオの祈りを、第一聖堂でなく第二聖堂で行えるという権利だ。
 ロザリオの祈りとは、長椅子の前に跪いて、ロザリオの紐のビーズを一つ一つ触りながら、聖母の祈りの文言を繰り返し唱えるというもの。これを30分間ぶっ続けで、しかも5月の間は朝と夕方の2回やり続ける。
 この学園はミッションスクールではあるものの、生徒は9割以上がクリスチャンではない。だから私たちはその祈りにほとんど意味も価値も感じないまま、ただそうしろと強いられているからと文言を繰り返す。
 つまりほとんど面倒臭さしかないような儀式なわけだたが、さらなる問題はこの学園の第一聖堂、通称ヨハネス堂には暖房設備がないことだった。
 ヨハネス堂は地域の重要文化財に指定されているほど歴史ある美しい建物だが、石造りで日当たりが酷く悪いので冷気がこもりやすく、5月ですら真冬の屋外みたいに寒い。そこで朝夕30分、冷たい床に膝を付けたまま過ごすのは、ほとんど拷問みたいなものなのである。ちなみに第二聖堂は校舎の一角にある教室を改装した部屋なので、そのような問題は一切ない。

 もうどこもかしこも、探していない場所なんてないだろうと思いながら、私は下駄箱の一つ一つを覗き込み、それから校庭に出た。校庭でも大勢の生徒たちが生け垣の中やら花壇の中やら排水口の中やら必死になって探し回っている――それだけ、みんなヨハネス堂でのロザリオの祈りが嫌なのだ。
 この学園に、それが嫌いじゃない人なんか恐らくいない。正直に言えば、クリスチャンの生徒たちですら面倒臭いと寒いしか言っているところを見たことがない――そこまで考えて、私はふとあることを思い出した。そして、校舎の隣にあるヨハネス堂に足を向ける。
 ヨハネス堂は校舎と独立して建っている建物であり、こじんまりとはしているがそれ単体で教会として成立している。それほど高さはないが鐘楼もあり、そこから鐘が鳴らせる。
 私は鐘楼に目をやり――その窓から、ふわふわとした白く長いものが二本並んでちらちらと見えるのに気が付いた。エッグハントが始まってからというもの姿を見かけなかったけれど、こんなところにいたとは。


「ふふ、権力って最高ね」

 アリサが、かわいい顔をして悪徳政治家みたいに呟く。
 鐘楼を登ると、そこには当然のようにアリサがいた。頭に被っている、白くてふわふわした、うさぎの耳のついた被り物が、少し狼狽えるほどによく似合っている。窓から身を乗り出し、外界で今も必死に卵を探すセーラー服の少女たちを見つめる彼女は、実に楽しげだ。

 ヨハネス堂でのロザリオの祈りは、私もアリサももう何度か経験がある。そしてなぜか、アリサはいつも祈りの間はどこかへ消えてしまう。第二聖堂であれば隣にいるのに。てっきりサボっているのだろうと思っていたけれど、実は――。

「なるほど、祈りを聞きたかったんだね」
「そう。リカなら、見つけられるだろうって思ってたわ」

 そう言うアリサの白く美しい手には、最後の一つの卵が乗せられている。艷やかなエメラルドグリーンに、白い線でレースのような繊細な模様が描かれた、とてもきれいな卵だ。

 ロザリオの祈りの最中、姿を消すアリサの行方が気になった私は、彼女をしつこく探したことがある。屋上や、教室や、保健室や――サボるのに最適と思われる場所のどこにも、この美しい鳶色の瞳と栗毛の少女の姿はなかった。そして最後に私は、この鐘楼に登る階段の途中で彼女を見つけた。
 アリサはどこからか持ち込んだらしい暖かそうな毛布に身を包んだまま、なにかに耳を澄ませるようにしてじっとしていた。白い壁に身体を寄りかからせ、長い睫毛を伏せて目を閉じた彼女は――祭壇の神の子の像を彷彿させるくらい、静かで、厳かで、美しい。
 私はしばらく息を飲んで、彼女を見つめた。しかしやがて、そこにいるのが神の像でなく単なる扱いの難しい女の子であることを思い出して、何をしているの、と聞いた。
 すると、アリサはとたんにただのひとの少女らしくなって、煩わしそうに眉を寄せ「しずかにして」と怒る。

「……お祈りを聞いているの。ここからだと、すごくきれいに響いて聞こえるから……もしかしたら、願いが何もかも叶うんじゃないかって、気持ちになれるの」

 カトリックの聖堂は、大抵よく音が反響するように設計される。それは音響機器が無かった時代の知恵でもあるし、おそらく荘厳に反響する祈りの言葉や聖歌の美しさが、人に神の存在を信じさせる助けになるからでもある。ヨハネス堂にはその機能があるが、第二聖堂には無い。
 アリサは洗礼を受けているんだっけ、と私が聞くと、アリサはどうでもよさそうに『神様なんか信じてないわ』と言った。聞き分けのない子どもを叱るみたいに、そういうことじゃないのよ、と。

 アリサの遠大な計画に、私はすこし感心していた。
 けれど、成すすべもなくそれに巻き込まれるしか無いクラスメイトたちを気の毒には思う。教室に帰ったら、卵を見つけられなかったことを彼女たちに詰められるだろうな、とも。
 しかし満足げなうさぎのアリサを見ていると、まあいいかという気にもなる。

「これはね、誰にも見つかっちゃいけない卵なのよね」

 そう言って、アリサは私が見る前でその手の中の卵を握りつぶしてしまった。エメラルドの卵はバラバラの細かい欠片になり、アリサが窓の外へ手をかざすと風に乗って、散り散りになっていく。
 まるで宝石を、少女たちに降らせるみたいに。

3/15/2025, 9:06:45 AM