エムジリ

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 昼夜問わず気楽に電話し合える相手がいるのは幸甚だ。それが同性で、思いやりを持ちつつ明け透けな言葉を言い合えればもはや言うことはない。
 明美は私にとって唯一の、そういう存在だった。
「どうしたの? 理沙、明日も仕事でしょ」
 時刻は午後十一時。電話口の明美は少し眠そうな声で言った。
「ゴメン、ちょっと聞いて欲しくて」
「あーわかった。我が友、理沙サンは、恋の悩みをお抱えというワケね」
「……さすが我が親友」
 ひとしきり二人で笑いあってから、私は内緒話を打ち明けた。
「好きな人ができたの。しかも妻子持ち」
「やめときな。あたし、絶対応援しないから」間髪入れずに明美に釘を刺される。
「わかってるー、でも本気になっちゃったんだもん。もう二回寝たし」
 駄々っ子のように生意気な声で抗議すると、明美は呆れ半分、傍観者として面白半分といった様子で息を漏らした。
「本気じゃない恋なんかしたことないでしょ。誰だって恋したら、それはいつも本気よ」
 私は彼との夜の感想を長々語りたかったのだが、明美がさらに口を開く気配があったので譲ることにした。
「いい? まず、二回寝たことを自慢話にするのは止してよね。恋の病だの恋は盲目だの、先人はよく言ったものよ。理沙、あんたは今、恋にやられて正気を失ってるわ。平日の深夜近くに友達に電話をかけて、不倫していることを楽しそうに話してる。それ、人としてどうなのか客観視したことある?」
 思わぬ正論に、私はちょっとムカッときて、でもグッと押し黙った。そのとおり。ゴメン、明美。
「まあ、こんな事あたしが言ったところで無駄でしょうね。あんたはこれからも、コソコソと家庭のある男との関係を喜んで続けるだろうし、あたしとの約束よりも男との約束を優先するでしょうね。そんなもんよ、恋した人間なんて」
「うん……」私は叱られた子供のようにしゅんとなる。
「でもさ」明美は明るく言った。「いくら本気でも、結局冷める瞬間がくるのよ、恋って」
「……それは、確かに」
 私は、今まで熱烈に好きになっては興味を失った男達の顔を思い浮かべた。
「好きって気持ちが失くなった途端、それまで我慢できてた彼の嫌なところと現実的な問題がどんどん明らかになっていくわ。その壁に、二人で正面から向き合って、乗り越える力があれば、恋が愛に変わる可能性もあるけどね。とりあえず今は止まれないんでしょ、理沙の好きにしたら?」
「……うん」
 私は頷くしなかった。彼に恋する気持ちは残っているが、それは燃え盛るキャンプファイヤーの炎から、仏壇に慎ましく供えられた線香ほどの大人しさになっていた。
「理沙、あんた若いのよ。ともかくね、経験者かつ信頼できる女友達の忠告は真実として受け止めておくべきよ」明美はずいぶんと得意気に言った。
「え?」思わず聞き返す。線香の火が、蝋燭の火くらいの大きさに変わり始めている。
「……ちょっと、聞かせてよ、明美先輩の話」私は意地悪な笑みを浮かべて先を促した。
「いいわ。大変だったんだから、あの時は」
 話は明日に続きそうだ。やはり持つべきものは、心許せる同性の友人である。


▼本気の恋

9/13/2023, 2:18:15 AM