ほたる

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優しさという言葉について、何度も考えたことがある。

私は優しいという言葉が嫌いだし
優しい人だと言われるのもあまり嬉しくない。

様々な考え方があるとは思うけれど
私は優しさの中身はそれと比例する量の偽善だと思っているから。
みんなが人のためになど生きていけなくて
自分のために生きていく。
誰かのためにしてあげたことなど一度もなくて
巡り巡って自分のために発言して、行動しているのに
そこに優しさなどあるのだろうか?

今、優しい人だと思われたなと感じる度に
私は自己への偽善のメーターが増えたように感じて
居心地が悪い。

けれども人に優しくしないということが、できない
嫌われたくないからだ。
誰から見ても優しくていい人だと思われたい。
優しさなどどこにも存在しないと主張するのに
何を言っているのだろうと思う。

ただ、物心ついた時から付きまとうこの感覚に
少し疲れてきてしまった。

誰かが優しいと受け取ったらそれでいいんだと、
今は少しだけ思えるようになった。
誰かが私の言動で温かい気持ちになったり
よかったと思えることがあるのなら、
私の中身がなんであれ、それで充分ではないか。
そんなことを思えるようになるまでに
多量の時間がかかった。

ここまで書いて、
けれども私だっていつでも優しいわけではない
ということに気づき、恥が生まれてきた。
ここまで優しさを考え抜いても
自分のために牙を振う時もある。

それでもいい
自分のために生きてもいい
誰かのために生きなくていい
その人のために行きたいと思った時にだけそうして
そうしなくてもいいと思ったらやめていい
みんなが自分のために生きているんだから
私だって自分のために生きても
なにもうしろめたいことはない。
なにも恥ずかしいことはない。

私はここまで書いたことを
半分も自分に言い聞かせられないけれど
だからこそこうして記した。
いつか読み返した日には
もう少しだけでも頷けるような人間になっていますように。

1/27/2026, 3:00:38 PM