囃子音

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…ここ数日、この島は酷い嵐に見舞われた。私は小屋や漂流物を守りきるので精一杯だった。吹き荒れる風は、まるで私を、執拗に外へ誘おうとするようにして、窓を激しく揺すった。波は何度もこちらへ向かって手招きをした。

その様子は、むしろ強い歓喜に狂っているようだった。それに共鳴するように、私は外に躍り出た。そして両手を広げて風を感じた。大いなる恐怖でいっぱいだった。しかし、狂喜がそれにまとわりついていた。

嵐が去った海岸からは、いくつかの漂流物が消えていた。とりわけショックだったのは、空の工具入れ、ポピーの柄のついた洗面器、牛革のブックカバーなど、お気に入りの漂流物の一部が出しっぱなしになっていたために、波に奪われたらしいことだった。

嵐が去った後にも、まだ心臓のドギマギが、海岸に残り続けていた。嵐のおかげで、私のボトルメールは停滞した。それどころではなかった。本能的に、嵐の驚異から夢中で身を守ろうとしていた。

やっと心臓が波打ち際を離れて私の元に落ち着いたとき、私はふと思った。

「私は一体いつまで生き続けるつもりなんだ?」

いや、そもそも、私に寿命の概念があるのだろうか?気づいたらここに居た。名前も出生も何一つ分からない。あるのは僅かな蔵書の知識のみ。

「私は何者だ?」
そう問いかけた瞬間、左腕が焼けるように傷んだ。いや、違う。この痛みは。そう思って、左手の爪の全てを使って、右腕を思い切りつねった。

―やっぱり、この痛みだ。久々に感じた。以前、まだ文章を綴る意思がなかった時代、この痛みは毎日私を苦しめた。反面この痛みこそが「生きている」なのかもしれないとすら思ったことがあった。

不意に、生きているのが怖くなった。嵐を目の前にした時の恐怖が、そのまま私を埋めつくした。やがて重みで立てなくなり、膝をついた。

ふと、壁際の額縁に閉じ込められた手紙が目に入った。私が文章を書くきっかけになった、知らない誰かさんの遺書である。その最後の文言はこうだった。

「せめて、自分の意志で死にたいのです」

私は、死ねるのだろうか?このまま永久に何者かに生かされるのでは無いのだろうか?なぜだかそんな疑問形が脳を回り始めた。

―そして、その回転の渦によって、かつて戯れに立てた仮説の1つが頭の引き出しを飛び出した。
「変化を急かされる人生に疲れた神が、退屈で単調な、ある意味優美な生活を望んで作ったのが、私とこの島なのではないか」という仮説が。

なんだか急に恐ろしくなった。こういう根拠の無い怖がりは、どこから来たのだろう。私の頭のことのようで、知らない誰かの感情のように浮ついている。

こうなってしまっては、もう眠るしかないのだろう。この熱病の時のような頭痛が脳を覆ってしまう前に、しばらく睡眠を取るべきだと思う。これは、時間をスキップし、感情をリセットするには最も有効な方法だ。

3/16/2023, 4:42:01 PM