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セーター。
何日か前のお題です。二千字くらい。










 家を出ようとしたところで、マフラーを忘れていたことに気がついた。
 そばを通りかかった母親に、マフラーを取ってきて、と頼む。
 洗濯もの持ってるの、見たら分かるでしょ、といって、母さんは家の裏口へ消えていく。
 だれかー! マフラーとってきてー! と母さん以外に向かって叫んだ。
 リビングの扉からひょっこり犬が顔を出した。
 ちがう。おまえじゃない。おまえは呼んでない。俺はピースをしっしっと手で追い払う。
 ピースはよろこんで玄関に駆けてきた。追い払われているのを、手を振られたと勘違いしている。散歩に行けると思っているのだ。
 父さんー! ピース散歩に連れてって! マフラーとってきて! と、ピースが外に出ないよう、ディフェンスしながら俺は叫ぶ。
 つぎに出てきたのが、妹だった。妹はしまむらのパジャマワンピースを着ている。リビングと廊下をつなぐ扉は、真ん中が昭和型版ガラスになっていて、水色のかたまりがその前を行ったり来たりしていた。
 たったったっと妹は玄関に走ってきた。ぺんぎんの着ぐるみのようなパジャマに、俺の目当てのマフラーを巻いてやってきた。

「返して」
「え?」
「マフラー。あめりじゃない。俺が巻くやつだから」

 あめりはえー? と首をかしげている。
 俺はあめりが巻いているマフラーをぐい、と引っ張った。
 あめりがわざとらしく、あーれーといいながら、その場でくるくると回った。鼻にしわを寄せて、はしゃいでいる。仰け反りすぎて、鼻の穴が見える。あめりはあまり可愛くない。着物の帯が剥ぎ取られるみたいに、あめりの首からマフラーが解けた。
 回転を終えたあめりは、両手を上にあげて俺に突進してきた。目が回って、よろけたという体で、俺に抱きついてくる。
 俺はそれを押し返した。少し突き飛ばす勢いだったかもしれない。ピースも、家族の靴も蹴散らすようにして、俺は家を出た。
 扉の内側で妹のおどろく声がする。犬が興奮している声もある。ふたつのなき声を聞きつけたのか、母親の高い声も聞こえる。父親は風呂掃除をしていたのか、不意打ちを食らったような間の抜けた声が、風呂場から聞こえた。

 坂を駆けあがるように、落ち葉が下から上に舞い上がっている。
 俺は風に前髪をかきあげられながら、つんのめるように坂をくだる。
 近道で公園を突っ切る。ぐじゅぐじゅの銀杏を二個踏んむ。俺が近くを通っているのに、カラスがいつまでも逃げ出さない。アホーアホーと泣きわめかれる。
 バイト先に着いてから、マフラーを右手に握りしめたままだと気がついた。
 更衣室の鏡で見た顔は、寒さで赤い。
 マフラーは、あめりがばあちゃんといっしょに編んだと聞いている。とはいっても、きっと半分以上ばあちゃんに編ませたに決まっている。あめりは母さんに似ていて、母さんの一族は総じて不器用だ。マフラーを編んだばあちゃんとは、父方の祖母だ。家のリビングには、ばあちゃんからもらった毛糸がたくさんある。けど、あれが使われているのは見たことがない。
 歩いて振り回したマフラーは冷たくなっていた。
 学校に行って、部活をして、一回家に帰って、学校とは反対側のファミレスに働きに行く。つぎに家に帰るのは二十二時を過ぎるから、俺は先に夕飯を食べている。
 家に帰り着くころには、あめりは部屋に入って寝ているだろう。
 玄関に入ると、夕方俺が散らかしていった父さんのスリッパが、そのまま裏返されていた。
 脱衣所から出てきた母さんが、お風呂湧いてるわよ、といいながら、洗濯ものを抱えてリビングに消えていく。
 あとを追って、リビングに入った。リビングの中はあたたかかった。バッグと、マフラーと、コートを椅子に投げ出して、手を洗って、麦茶を飲む。
 振り向くと、タオルケットを被っているあめりが見えた。あめりはリビングにいた。リビングの中央のソファーで寝ていた。今まで起きていたらしく、そばにタブレットが転がっている。
 ピースはその足元で丸くなっている。俺の方向を目だけで見上げて、鼻だけですぴよと鳴いた。
 母さんは父さんに手伝いなさいよ、といって、洗濯ものを部屋に干している。
 父さんはYouTubeで動画を観ながら、パピコのセーターを編んでいた。













押し花の栞。
SSお題診断メーカーで出たお題です。二千五百字くらい。


 押し花の栞を作りたいということでホームセンターにまで出かけることになった。
 押し花というのは、好きな花をティッシュで挟んで、上に重しを置き、花の水分を取って作るらしい。均等に重さが加わるように、花のガクを取ったり、花弁の重なりをなくしたりする工夫がいる。それでできたものをラミネート加工して、栞にする。
 好きな花がないとイバリがいうので、ホームセンターに行って花を買うことになった。
 好きな花を買い、育て、満開になったところで、その一本を摘んだ。
 さてこれから作るのかと思ったら、重しにする本がないといいだした。適当な教科書や辞書を積んでおけばいいのに、好きな本で作りたいのだと言って、今度は図書館に駆り出される。とびきりロマンチックなフランス文学をイバリは五冊借りてくる。
 帰り道にセリアでラミネートを購入する。二枚入りのラミネートだった。……ひとつしか栞は作らないのに。そう思う気持ちをかろうじて抑え込む。
 花を本で挟んで、一夜明けたところ、そろそろできたかなと思って本を開こうとしたら、イバリに叱られた。押し花ができあがるには数週間かかるらしい。花の水やりでもしてなさい! と、ホームセンターで買ってきたイバリの花を、僕が世話させられる。
 イバリにはなにからなにまで金と労力がかかる。
 晩ご飯を買った帰り道に、ブックオフに寄ろうとしたら、頭を叩かれて違う方向を指さされる。イバリに言われるがまま車を運転すると、TSUTAYAに着いた。
「栞を使う本を買うの!」と言って、店内を連れ回された。

「この前、図書館で借りた本があるじゃないか」
「あれは重し用。今探しているのは栞を使う用よ」
「図書館で借りた本でいいんじゃないの?」
「よくないの」
「僕が持っている本を貸すよ」
「あんたの趣味じゃ、だめよ!」

 イバリは普段本を読まない。
 どんな本がいいと思う? と聞かれ、こんなのがいいんじゃないかな、ほら、えらい賞も取ってる、と僕が気になっている本を勧めてみると、そんなの嫌! と言われる。
 その日はイバリのお気に召すものがなかったらしく、僕は車内に置いた冷凍枝豆と明治エッセルスーパーカップを気にしながら、帰路を急ぐことになる。
 イバリの本選びにはそれからも付き合わされる。
 ある日、明屋書店で一八九〇円のハードカバーの本を選ばれそうになった。僕はイバリの注意を逸らすために必死になった。イバリは本を読まない。読まない人に、本をぱっと買ってあげられない弟でごめんよ、と内心で思ってもない謝罪をする。どうせイバリが読まない本を買うくらいなら、僕が読みたい七七〇円の文庫本がほしい。
 イバリは夜な夜な押し花の様子をのぞき、あとどれくらいでできるかを予測する、僕が見ようとすると追い払う、というのを繰り返した。
 押し花はいい調子らしかった。あと二日ぐらいしたらいい感じになると言っていた。よかったね、としか僕は言えない。
 イバリは、本を読まないし、花を育てられないし、車も運転できない。

「なにがしたかったの?」

 と、聞くと、怒られると思ったのかイバリがそっぽを向いた。はじめに押し花を作りたいといいはじめたときから、この調子だ。
 すっかり固くなってしまったイバリをなぐさめ、布団に収めると、僕はイバリの寝室を出ようとした。
 ふわふわに天日干しして、さっきまでイバリの布団を電気毛布であたためておいたのは僕だ。その布団を跳ね除け、イバリが起き上がった。
 あーあ。僕が乾かしてあげた髪を、イバリは両手でぐしゃぐしゃとかき乱す。
 イバリは足が悪い。車椅子で移動することもある。立ち上がれないイバリの代わりに、僕はイバリに近づいた。
 イバリはむしゃくしゃした様子で唇を噛み締めているので、それやめてと僕はいう。

「だって! 喜ぶかと思ったの!」
「なんの話? 唇噛まないで」
「わたしがあげたら、喜ぶかと思ったの!」

 そこでようやく僕は、イバリが僕に栞をプレゼントしようとしていたことを知る。

「うっそだあ」

 イバリが顔を歪めた。
 この人、たったこれだけで傷ついて、今までどうしてきたのだろうか、と頭の片隅で考える。今までどうにもならなかったから、僕を頼ってきたのか――僕がイバリと暮らしはじめたのは二年前だ。両親の離婚で僕とイバリは子どものころに住むところをべつにしていた――自問自答して僕は満足する。

「そんなことしなくていいのに」
「はっ? ひどい! ひっどい。お姉ちゃんに向かって」
「『お姉ちゃん』? イバリになんて、お姉ちゃんなんて呼ばないよ」

 僕は呆れて冷たい声が出た。

「僕、寝たいんだけど」

 帰っていいかな。
 この人は、僕が食事から寝る場所までお世話しているのに、プレゼントなんてなにを言っているんだかわからない。僕がイバリに望むのは、イバリがただ寝て食べて、無害でいてくれることだけだ。

「変な人だね……そんなことしなくていいのに。おかしなことをする。僕の好きな花も、本も知らないのに。いいよ。イバリサンはえらく楽しそうだったね。僕のことをたくさん考えてくれてどうもありがとう。僕のために、何週間も前から、僕に花を育てさせるところからはじめて、僕に車を出させて、本を買わせて……。本当に、こんなに人に命令できるのはイバリだけだよ。ちょっと。唇噛まないで。ほら。目を擦らない。……。本当、変わった人だね……」

 僕はイバリの肩を押して、再度ベッドに横たわらせる。布団をイバリの肩まで引き上げた。
 後部座席で僕に行先を命令していた、イバリのことを思い出した。イバリは滅多に外に出ない僕を休日に連れ回して、楽しそうだった。
 イバリが楽しそうなら、もうそれでいいかと僕は思った。
 ありがとうと、再度いうと、イバリは眉を寄せた。
 イバリを重たい布団の下に閉じ込めて、僕は手でイバリの目元を覆う。ベッドサイドのランプを消す。部屋が真っ暗になる。僕はゆっくりイバリの部屋から出て、カチャンと、扉を静かに閉じる。








12/5/2024, 10:41:52 AM