金曜日の夕方、働いている探偵事務所で私は事務作業をしていた。
私は万全の状態で週末を迎えるべく、一人で書類を黙々と処理する。
この事務所で働くのは、事務所の主である先生と私だけ。
そして先生は浮気調査でいないので、必然的に私がするしかないのである
この書類を片づけない限り帰れないのだが、この調子なら定時で帰れそうだ。
書類をためた先生を恨みつつ、書類をさばいていると、外回りから先生が帰って来た。
「先生、お帰りなさ――」
私の言葉が止まる。
なぜなら仕事から帰って来た先生が、中学生くらいの子供を連れていたからだ。
『誘拐』の二文字が頭をよぎる。
だが先生にそんな度胸があるわけがないと自分に言い聞かせ、思考を切り替える
基本的に子供が探偵事務所に来ることはない。
我が事務所に舞い込む依頼の多くは、浮気調査だからだ。
たまに子供からペット探しの依頼が来るが、それくらい。
しかしこの子は、ペット探しを依頼に来たようには、とても思えなかった。
ではこの子は誰なのか……
私は意を決し、先生に尋ねる。
「先生、その子は誰ですか?」
私の問いかけに、先生はニヤリと笑う。
「ああ、こいつはな――」
「初めまして!
アナタが師匠の助手ですね?
僕は師匠の弟子の武田と言います」
「弟子!?」
思わず、言葉をオウム返しで返す。
こんな底辺をうろついている探偵に弟子だって!?
信じられない……
「先生、子供を騙して何が目的ですか?
やっぱり誘拐!?」
「人聞きの悪い!
俺の人徳に惹かれてだな――」
「師匠となって何を教えるのですか?
さすがにこの年頃の子に、大人のドロドロとした事情を教えるには早いと思うんです」
「話を聞けよ!
コイツは探偵としての弟子じゃない」
「じゃあ、何の弟子ですか?」
「ハードボイルドの弟子だ」
「はあ?」と変な声が、私の口から洩れる。
ハードボイルドの弟子?
何言ってんだ、コイツ……
「先生みたいな『なんちゃってハードボイルド』に憧れる人なんていませんよ」
「失礼だな、お前!
俺のハードボイルドっぷりは日本一だぞ。
その証拠に武田が弟子入りしただろ?」
「はい、師匠は素晴らしいハードボイルドです。
先日見た哀愁を誘う背中を見て憧れました。
それで今日、勇気を出して弟子にしてもらいました」
哀愁を誘う背中ねえ。
この前、依頼料を払ってもらえなかった時の話かな。
その時ばかりは、私も哀愁を漂わせていたと思う。
だってボーナス減るんだよ!
「助手よ、納得したな?」
「納得してませんけど……
今依頼来てませんし、私の事務作業の邪魔をいいんじゃないですかね」
「よし、助手の許可が出た!
武田続きをするぞ」
「はい、師匠!」
そう言うと二人は何やらポーズを取り始めた。
やり取りを見るにハードボイルドの特訓らしい……
だけど詳しくない自分でも『それは違うだろ』と。
でも指摘はしない。
書類を済ませるのが優先だ。
先生は仕事をしないのかって?
ダメダメ。
あの人は逆に事務仕事できないばかりか、仕事を増やすんだ。
ああして遊んでくれてた方が、仕事が捗る。
それにしても、ノリノリでやってるなあ。
『男はいくつになっても子供』とよく言われるが、まさにそれを体現したかのようなはしゃぎっぷり。
武田君も見る目が無いと思うが、ああいうのに憧れる年頃なのだろうか……
止めるべきかもしれないが、私は武田の家族ではない。
それに悪い大人に引っ掛かるのもいい経験になるだろう。
その点、先生は比較的無害なので問題ないはず。
放っておこう、私に仕事がある。
私は意識を切り替えて机に向かう。
少々うるさいけど、邪魔というほどではない。
粛々と事務作業をしよう。
一時間後。
私は書類を片づけ、定時になって未だ騒ぐ二人を尻目に帰路につくのであった
□
連休が明けていつものように出勤すると、事務所の雰囲気がいつもと違った
先生は泣きながら飲まない酒を飲んでいる。
そして昨日いたはずの武田君はどこにもいない。
何かあったのは明白だった。
正直聞関わりたくないが、放っておくも酷だと思ったので、武士の情けで聞くことにした
「先生、なにかあったんですか?」
「あいつ、裏切ったんだよ」
「というと?」
「あいつは……
あいつは……」
先生は鼻をすすりながら、再び酒を煽る
「昨日、一緒にハードボイルド修行していたのにさ。
女の子に『ダサい』と言われて止めやがった」
「はあ」
「若い者は根性がない!」
「はあ」
めんどくさいので生返事を返すが、先生は気にも留めた様子はない。
どうするかな、これ。
仕事になりそうにないから帰りたい……
でもこの状態の先生を放って帰るのもな……
「ハードボイルドはダサくない!」
酔っ払い相手の特別手当出ないかなあ。
先生の哀愁を誘う背中を見て、私は大きくため息をつくのだった。
11/5/2024, 1:32:28 PM