望月

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《待ってて》

 無責任な奴だ。
 それを必ず守ってもらえるなんて確証は無いのに、こちらが返答をする前に去ってしまった。
「……なに勝手に満足してんだよ」
 そう零しても、反論などされない。
 寧ろその言葉が宙に溶けて虚しさが募るばかりだ。
 周囲の様子は惨憺たる有様で、煙があちらこちらから上がり建物は崩壊済み。瓦礫の下から覗く手は力なく地面に伸びており、けれど、それに意識を引かれるほど珍しくもない現状。
 隣で目から光を失った男を退けて、青年——アキは立ち上がった。倫理観の欠片も無いことをした、と頭の片隅では思うものの今はそれどころではないのだ。
「あいつ、どこまで行ったかな……」
 ズボンに付いた土を払って立ち上がり、未だ赤く燃える地面は避けながら歩いて行く。
 魔物が現れたのは、突然のことだった。
 いつもと変わらないはずの日常の中に、急に割り込んできた破壊神のような存在。
 村を取り囲む塀の外側で棲息していた魔物は、本来であれば人間を襲う存在ではなく動物を襲う。人間は食糧を奪われては堪らない、と一方的に魔物を狩るようになったのも必然だった。
 ここで、普通ならどこかの時点で人間も魔物に襲われてしまい、人間の味を覚えた魔物は動物も人間も襲うようになるのだろう。しかし、そうはならなかった。魔物の存在が認知されて早五百年、今の今まで一度も故意に人間を襲った例など存在しなかったのである。勿論動物への攻撃の余波はあったが。
 だから、大丈夫だと思っていた。
 それが進化が起これば容易に変えられてしまう常識だとは、誰もが予想していなかったからだ。
「みんな足がないな」
 どういう訳か魔物は足を喰らう。動物は丸ごと食すのに人間は殆どが足だけを奪われて食事はお終いなのだ。つまり、出血多量でなければ即死には至らない程度の怪我を負わされるのだった。
 お陰で村の人々はこうして、足の喪失に苦しみながら徐々に自宅の瓦礫に押し潰される恐怖を味わうことになっていた。
 それを横目に、アキは歩いて行く。
 ここで良心や感情を働かせて、瓦礫に埋もれそうな人たちを助けに行くとしよう。そうすると、大抵は足を喰われているので死ぬまでの時間が伸びるだけになる。感情に駆られて目の前の人を助けようとする行為自体が、寧ろ残酷な真似、という訳だ。
 別に何も感じていない訳でもなく、幼少期からよく遊んでいた友人を見掛けた時には意識的に目を逸らさねばならなかった。
 そうでもしないと、歩き続けられない。
 小さくはない村の殆どを歩き尽くして、アキは漸く瓦礫の山と煙の無くなる場所まで辿り着いた。
「——やり過ぎだって、それは」
 眼前の光景を目に入れた瞬間、即座に非難の声を上げたのも無理はない。
 村を襲った魔物は地に伏しており、血溜まりの中で目を見開いたまま鋭い歯を砕かれている。明らかに、命が喪われていた。
 そしてそれを行ったのだろう青年——ハルは、死した魔物の上に座っていた。血を避けるように。
「あ、なんで来ちゃったんだよー」
「なんでって……いや、普通に来るだろ。そもそも『わかった』なんて返事してないし。ハル遅いし」
 残念そうに声を上げた彼は、魔物の背を蹴ってアキの隣に立つ。
 友人であり、誰よりも家族に近しい存在だった。親友と呼んでも差し支えない関係性だ。
「んで、倒せたんだ。さすがハル」
「だろ?」
 そう言って擽ったそうに笑う彼は、とても魔物をその手で殺したとは思えない爽やかさだ。
 あまりにも現実的で無いのに、アキはそれをどうしようもなく受け入れなければならなかった。
 ただの人間が、武器も無しに魔物を倒したという事実を。それも、友人であるハルが。
「よし、じゃあ別の村行くか! 急いで逃げて来たから助かったんです、って体で」
「いいけど……怪我は?」
「してない! から、心配しなくて大丈夫。ほら、行こうぜ、アキ」
「うん」
 差し出されたハルの手は赤く汚れていたが、気にせずアキは手を乗せた。
「——次の村は無事に過ごせるといいな」
「だな!」
 明るく笑って、二人は歩き出した。
 アキは変わり者の友人の横顔を見つめながら、薄く微笑む。
 待ってて、新しい絶望を運ぶから。

2/14/2026, 8:02:08 AM