郡司

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このところお題が重いね。
世界の終わりに君と、と来てから岐路。

どんな状況を指して世界の終わりとするかによって違うけど、どんな「世界の終わり」でも共通する願いはある。

眠りに落ちるとき、今日一日がんばった私の自我は、意識の深淵に沈んで自我を終え、「今日の世界」を終える。目覚めるときは全く新しい自我が生き始める。本音を言えば、「今日の自我」が生きる世界を終えるとき、君の温度に触れながら眠りに去りたい。わかってる、私は強欲だ。

人生を閉じ、自分の「世界」を終えるとき、もちろん君と一緒に居たい。でも私が先か、君が先か、こころを想えば難しいところだ。ただ、自分の何かを隠すばかりに君から「遠く離れ」て、急ぐように人生を閉じるような真似は、もう絶対しない。何かの力がはたらかないかぎりは。

集合意識が同意する「世界」が終わるとき、やっぱり君と一緒に居たい。「その後」が違う領域で続くから、繋がりをしっかりしておかなくちゃ。

いま、私は新しい「世界」への“軟着陸”を支援する試みの途上で、たくさんの「世界」がそれぞれのユニークを発現できるように「世界の始まりと終わり」が巡る道を、君につきあってもらっている。感謝の言葉も見つからないくらい感謝している……君が居なければ、私はこれを早々に投げ出したであろう自信がある。君が居るなら、残りの命のすべてでこの試みを続け通す。この惑星に、君が居るなら。

岐路があったとしても、私は「君が居るほう」へ進む。何度岐路に立っても、やっぱり「君が居るほう」へ進む。

君が「もうヤだな」と思わないでいてくれるなら。

6/8/2024, 11:43:25 AM