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病院の1階メインロビーにはダウンライトに照らされて大きな笹に彩りどりのたくさんの短冊が今年も結えられている。
七夕の夜、仕事終わりにそこへ向かうと、愛しの由希奈ちゃんが七夕飾りを見上げていた。

ナース服から普段の装いに着替えて佇む彼女もダウンライトの光を浴びてその横顔は目映く美しい。
凛とした彼女とは異なる優しい表情に、俺は彼女の空間を邪魔しないよう、声を顰めて「おつかれ」と囁いた。
「あ、大和くん。おつかれ」
彼女は俺に笑顔を向ける。彼女は外科ナース、俺はレントゲン技師としてこの総合病院で働いている。医療従事者という職業柄、一つのミスも許されない時間から互いに解放され、癒されるひととき。

「病気が治りますように、っていう願いごとが多いね」
由希奈ちゃんの言葉に短冊を眺めていくと、その通りだった。患者本人や家族からの願いが込められた文言。中には患者本人も余命は知っているだろうに、幼い子どもが祖父母やパパ、ママと書かれたつたない文字もあって胸が苦しくなる。たくさん飾られた短冊のターミナル期の患者さんの中には由希奈ちゃんの受け持ち患者さんも複数いて…つくづく看護師という職業の過酷さを想う。痛みや息苦しさ、怒りや悲しみ、諦め、不安…全てに寄り添って、できる限り安全安楽に過ごせるよう手助けする。
こんなに細い身体で患者の気持ちを一身に背負い、一生懸命寄り添っていく。

由希奈ちゃんの手を繋ぐと、驚きながら「どしたの?」と俺を見上げた。
「由希奈ちゃん、すごいなぁと思って。病気が治りますように、っていう願いって、叶う人、残念だけど叶わない人もいるじゃん」
「うん、そうだね」
「そのどちらの人にもしっかりと向き合ってるじゃん?特にターミナル期の人に看護師として看護師間だけじゃなく医師や栄養士や薬剤師、ソーシャルワーカーと相談したりして。
痛みが強くてもお風呂に入ると少し楽になるって言われたらなんとか入浴させたりさ。ずっと背中を摩ってあげたり。泣きながら訴える患者さんの話をずっと傾聴したり」
「看護ってそういうものだから。って言うか、大和くんがそんなに見ててくれたの驚きだよ。…でも、嬉しい」
由希奈ちゃんが嬉しそうに照れくさそうに笑った。
「うん、いつも想ってはいたんだけど、なかなか言うタイミングなくて」
俺も少し照れくさくなって頭を掻く。互いに声を顰めてふふっと笑う。
そして唐突に想った。こんなふうに優しい気持ちで由希奈ちゃんとずっと一緒に居たいって。

「せっかくまだ短冊が余ってるしさ、願いごと、書こうよ」
俺の提案に由希奈ちゃんは「そうだね」とペンと水色の短冊を手に取った。
俺も由希奈ちゃんの好きなピンクの短冊を手に取った。
「大和くん、まだ見ちゃダメだからね」
「ふぅん、俺のもまだ見ないでよ」
何やら真剣にダメ出しされたけど、俺にとっても好都合だった。
短冊に一文字一文字心を込めて筆を乗せる。
由希奈ちゃんに気持ちが届くように。驚かせるかな。微妙な顔をされたらどうしよう。

「書けた」
「俺も。見ても良い?」
「うーん、恥ずかしいから一緒に見せ合うのは?」
「オッケ-。せえの」
互いに背中に隠していた短冊をそれぞれに渡し合う。

由希奈ちゃんの水色の短冊には、青いマジックで
『大好きな人とずっと一緒にいられますように 由希奈』

うわ……マジか…嬉しい…嬉しすぎる……
じんわりと胸に暖かな気持ちが広がっていく。
それでも心配なのは、俺が書いた短冊を見た由希奈ちゃんの反応だ。

『由希奈ちゃんと結婚できますように 大和』

俯き加減の由希奈ちゃんが手にした短冊ごとぶるぶる震えている。
「由希奈ちゃん?」
由希奈ちゃんの今の気持ちがわからなくて、そっと声をかける。
「あの…ダメ、だった…?俺、由希奈ちゃんとずっと一緒にいたいってすげぇ思って、想ったから…」
まだ顔を上げてくれず、俺はさらに言い募る。
「あ、俺も、ずっと一緒にいられますように、ってすれば良かったかな。いきなりで驚いたよな。こんなん、夢見てたのと違っただろうし、」
俯いて震えられて、どうして良いかわからず、俺は「由希奈、なんか言って」と情けなく呟いた。

「驚いた」
由希奈ちゃんがポツリと呟く。
「うん、だよね」
俺は由希奈ちゃんに渡した短冊を受け取ろうと指に挟んで引っ張ったけれど、彼女のチカラは強く抜けなかった。
「驚いたけど、嬉しい」
由希奈ちゃんは顔を上げてその大きな瞳は涙ぐんでいた。
俺の緊張の糸はするりと解けて俺も泣き笑いのような笑顔になる。
「そっか、良かった」
「うん」

胸がいっぱいになって、言葉にならない。
俺は改めて由希奈ちゃんに手を差し出すと、その手をしっかりと握り返してくれる。
繋いでいない手には、一生モノの宝物になった短冊が互いの手に握られている。
「短冊、持って帰っても良いと思う?」
「良いんじゃね?俺も持って帰るし」
彼女がクリアファイルに挟んでカバンに入れたのを見届けて、俺も同様に仕舞う。

「なにか食べに行こうか。良いモノ」
「思い出になるもの?って言っても遅番終わって21時だよ」
「隠れ家的な深夜営業もしてるお鮨屋さん、浅尾先生が結構美味かったって言ってた」
「浅尾先生が言うなら間違いないね。そこ行こ」

職員通用口を出て、病院のエントランスへ回る。
ガラス越しに大きな笹がダウンライトに照らされて美しく浮かび上がっている。
今夜は夜風が少し日中の暑さを和らげて、心地の良い七夕の夜だ。
なんとなく空を見上げる。雲ひとつなく晴れ渡り、星々が白く瞬く美しい星空だった。
由希奈ちゃんと手を繋いだまま、病院の庭園のベンチに座って無言で星空をしばらく眺める。
「由希奈ちゃん」
「ん-?」
「ひとつ提案があるんだけどさ」
「大和くん、短冊を結びに戻ろうと思った?」
静かな問いかけになんでわかるの?と振り向く。彼女は「やっぱり」と悪戯っぽく微笑んだ。
「さすが、有能な看護師さん」
「て言うか、私も短冊を結んでも良いかなあって思っただけだよ。…織姫と彦星みたいに願いごとを叶えたいし」
「うん。俺も、全く同じこと考えてた」
ふたり、自然と同じことを願っているのがすごいと思う。素敵なことだと思う。
「なあに、大和くん、ニヤケちゃってるよ」
指摘されて咳払いして。でも、と由希奈ちゃんを見た。
「だってやっぱりすごいよ。短冊の願いも、短冊を結ぼうと思い直したことも。俺たちってずっとこうやって楽しく一緒に過ごせそうだなと思って」
由希奈ちゃんはふうわりとゆるく笑って「うん、大和くんとなら」と俺の手を強く握り返した。
「戻りますか」
「うん」

エントランスから窓越しに笹を見つめ、通用口を通って無人の静かな玄関ロビーへ回る。
二人でそっとテーブルを運び、由希奈ちゃんが支える中、俺は爪先立ちをして1番高い枝に二人の短冊を結える。ピンクと水色の短冊は光に照らされて白く浮かび上がるようだ。テーブルを支えている由希奈ちゃんが、「なにも書いてないように見えるよ」と伝えてくれた。

テーブルから降りて由希奈ちゃんの柔らかな手をギュッと包み込むと、彼女は静かに握り返し、大きな瞳で俺を見つめた。
「俺とずっと一緒にいてくれる?」
彼女の瞳が、星空みたいに揺れている。互いに見つめ合う静かな時が流れる。
「もちろん。私と…ずっと一緒にいてね?」
由希奈ちゃんの声は小さくて、でも心からの願いがこもっていた。
「もちろん。ずっと一緒にいるよ」

病院を後にして夜風に吹かれながら星々を見上げる由希奈ちゃんの横顔をそっと見つめる。気づいた彼女と瞳が合う。まるで星々の煌めきを宿したように美しいと想う。
「大和くん、私、今夜のことずっと憶えてる」
「俺も。最高の七夕の夜だ。…でも、鮨も楽しみ」
弾んだ声で付け加えると、「ね。私も」と同意の声は弾んでいた。
小さな笑い声が夜空に溶けてゆく。


七夕の夜の誓いは、短冊の光のように、澄んだ星々のように、静かに美しく響き合っていた。




「願いごと」

7/8/2025, 11:49:22 AM