定まらない

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小さい頃から人とのコミニケーションが苦手だったわけじゃない。かと言って得意なわけでもなかったけど、普通だった。今思えばそれも小さな子供だったからこそだと思う。

ただ嬉しいとか、悲しいとか、感情に薄く鈍い。

『この前の遠足、うちの子随分楽しかったみたいでさぁ、遠足の話いっぱい聞かせてくれるんだ〜「次の遠足はいつ?」って何回も聞いてくるよ』

『え〜そうなんだぁ!可愛い〜』

『充くんも遠足楽しかった?』

『たのしい…?別にたのしくもなかったよ』

『あら…』

『あー、充はクールなのよね』

『そっかぁ〜…』

僕が話せば人は固まったようにじっとこちらを見つめてくる微妙な反応をするというのはよくあることで、その度母さんが口癖のように、「この子クールなのよ」と付け足していたのをよく覚えている。

みんなが楽しんでいたり悲しんでいる中、僕だけいつも感情が変わらなかった。
それは小学校に上がって考える力がついて、何となく、自分が周りとどこかズレがあることに薄々気づいてきた。
だんだんと、人間である限り人間社会で生きるしか無くて
多分、人間社会で生きてゆくにはこのままじゃダメなんだろうということは分かった。
でもやっぱり、よく分からずにいる。
他人の感情も、自分の感情も。
嬉しいって、何?
悲しいって、何?
どこから来るものなの?
どうやって分かるの?

小学四年生の時、飼っていた二歳のハムスターが死んだ。
小屋ハウスに入り大鋸屑に埋まって寝ている様子が透明なゲージ越しに見えた。でも血色が無く硬直しているかのようにぴくりとも動かない寝顔が不自然で、確認したら死んでいた。
どうしようもなく、とりあえず母さんの許へ行き声をかけて、拳を開いて手の中の死んだハムスターを見せると、声を上げて驚いて後ろへと引き気味になった。沈黙の中で僕を見つめる微妙な反応をしてから、僕から死体を両手で受け取ると、『冷たいね』と震える声で言いながら涙ぐんでいた。
僕をふと見ると、『一生懸命、毎日お世話してたのに悲しいね。我慢しないで泣いていいんだよ』と言ってきた。
悲しい?我慢?泣く?
まずそんなのは湧いてこなくて、母さんにそう言われてから悲しいことなんだと気づいた。
数日前から水や餌が全く減っていなく、好物のおやつを与えても食べなかった。散歩のためにゲージから出しても動きが悪く、ほぼ歩かなかった。
元々ハムスターは短命だって分かってたんだ。
……
——短命だって分かってたから、死んでも悲しくなかったの?
短命だって分かってなくて死んだら、悲しかったの?

違う、そういうことじゃない。
きっと、僕はどうであれ毎日こまめに世話をしてきたこのハムスターが死んでも、悲しく思わない。

目の前の眉尻を下げた母さんを見た。

……じゃあ、母さんが死んだら?







……あれ


その瞬間、何だか、感じたことない不快感に襲われた。
身体の内側が粟立った。これは臓器の痛みか?何の症状?頭?喉、胸、腹…?どこなのか分からない。
ただ、そんなのどうでもよかった。
母さんが死んだ時、僕は涙が出るだろうか。
もし、出なければ。人として…
人ではないってことになるんじゃないのか?そしてその時は、それを認めざるを得ないんじゃないのだろうか。


そうして時の流れは変わらず進んで、そのまま中学生になった。

クラスメイトの女子に告白されて、付き合うことになった。
好きとか嫌いとか分からないけど、断る理由が無かった。


ある日こんなことを言われた。

『見て!このヘアピンね、昨日一目惚れして買ったんだ〜!』

『そうなんだ』

『ね、可愛い?』

『あ…』

どうにも喉が詰まった。
言葉がうまく出てこない、それ以前にどんな言葉を発せばいいのか脳内で処理もできなかった。

なんで可愛いかを聞くんだろう。
そもそも可愛いってなんだろう?どんな感じ?なにが?
髪を留めるもの。ヘアピンにそれ以上のものを見出すのはどうしても難しかった。

『ねぇ聞いてるー?』

『…分からない』

『…え?』

小さい頃から今まで、よく見てきた表情だった
どんな感情なのか分からないが、微妙な反応。
この反応はあまりよくないものだというのは分かる。
きっとこの場に母さんがいたら『この子クールなのよ』って付け足すだろう。
じゃあなんて言えばよかったんだろう。
どうして欲しいんだ?

分からないんだ。

結局彼女とは長くも続かず、後に振られた。

『…あのさぁ、それ、口癖なの?』

『……え?』

『だから、“分からない”ってやつ』

『どう…かな、そんなつもりは…』

『もうこの際言うけどさ、充ってなんか変じゃない?会話がなんかズレてんだよね』

『えっ……と、』

『……あの時もそうだったよね。はぁ、ホント空気読めないんだから
「そうなんだ」とか言う返しもまずどうかと思うけど、可愛いか聞かれたらさ、嘘でもいいから可愛いって言ってくれればいいじゃん!こっちが意味分かんないわ』

『………』


『聞いてんの?まただんまり?』

『いや……』

『…分かった。もういいよ、充なんて知らない』




ある日、母さんの買い出しについて荷物持ちをしていた時、ふと帰路で母さんが言った。

『今日のスーパーのレジ店員、イライラしてたんだか商品の扱いが雑でカゴに入れる時なんかほぼ投げてたわね。レジの操作ミスも多くてその度に舌打ちしてて、何であの人雇ったのかしら。ホント最悪よ。感じ悪いわよねー』

『……』

『ちょっと、聞いてんの?人が話しかけてるんだから何とか言いなさいよ』

『…僕は分からない』

『…充、よくそれ言うわよねー。愛情表現もして笑いかけて接してきたけど…』


『どこで育て方間違えたのかしら。』

目を合わせず、空に呟くように放たれた母さんの言葉は、何もない空中でこだました。
これで、ハッキリと認識した。
あ、やっぱり僕の“これ”って、間違いなんだ。

人とのコミニケーションで僕がふと何か言う度、その場はスムーズにいかなくなって、相手側の微妙な反応が目立つ。
それはとてもやりづらい。
会話の度に宇宙へ飛ばされ、フリーズしてしまう。無重力の中で身を捩っても思ったように動けなくて、抜け出せなくて。息が苦しい。
話を振られてもだいたいが意図が分からなかったり、僕には無い概念を問われるので、そんなコミニケーションというのは数学の勉強をするよりもうんと難しくて。
考えたところで答えが出ることはなく、果てしない宇宙に放りやられてしまう。
数学には必ず答えがあって、考えれば分かるし、考えて分からなくても教科書が答えを説明をしてくれる。答えを見れば息が鼻からふっと抜けて、胸の詰まりがなくなる。
何もないのに、どこまでも広くて、寒くて暗くて、一人きりの出られない宇宙に放りやられない。コミニケーションをとるより数学のワークをしている方がよっぽどいい。



やがて僕は必死になってみんなの共通意識を気にし続けて、自分もそれに合わせられるようになった。
みんなと同じように振る舞わなくては。
僕は元々間違っていて、間違っていることにも自分じゃ気づけないから、絶対に僕を出さないように。
そうして分かったのは、
人は共感を求めて、共感で繋がるようで。

『可愛い?』と聞かれたら『可愛いね』
『これ良くね?』と聞かれたら『良いね』
『数学の先生うざくね?』と聞かれたら『うざいよね』
と、同調することで微妙な反応をされることもなく、人間社会に今までよりずっと馴染めた。宇宙を彷徨うこともない。
きっとこれが正解なんだ。
相変わらずどうしてそんなことを聞くのか、その物事に対して何故そんな概念があるのかは分からない。
けど、だからなんだ。“僕”は要らない。

それでもやっぱり、コミニケーションには苦手意識が根付いているようだ。
僕と人の間にはどうやったってなくならなくて、なくしてはいけない壁があって、いつも壁越しだ。見えなくて聞こえずらい中、会話をするのは簡単でもない。
だからなるべく人を避けて、やり過ごす。
多くの人が感じる好印象というのは笑顔と挨拶だ。
笑顔で過ごし、挨拶を欠かさなければ、どうであれなんとなくやり過ごせた
笑顔と同調は、僕の生きる為の大事な仮面だ。
これがあればきっと、うまく行く。
大丈夫。

そうして高校生になりまた女子に告白され、なんて返せばいいのか分からなくて、同調の為に、肯定の文を口にした。

ある日、彼女に昼休みにLINEで体育倉庫裏に呼び出された。

「……何も聞かないけど、気にならないわけ?」

こういう聞き方をされるのは正直苦手だ。だけど“気にならないよね?”より、“充は気にならないの?”って聞き方に似てる。だからこれに同調するなら…

「気になるよ」

「……」

彼女は眉間に皺を寄せて、ただ僕を見つめている。
息が一つ、鼻からふっと抜けた。
脳裏に鮮明に映る、今まで見てきた微妙な反応。
あれではない。間違ってないんだ。

「…最初は充くんのこと、寡黙でミステリアスなのかっこいいなって思ってたけどさ、付き合ってからもそれって、なんか違くない?」

「うん?」

「話しかけたりデート誘うのも、何をするにも私からだけなのって、どうなの?そっちから来てもらったこと一度もないんだけど。
本当に私のこと好きなのかなとか、それ以前に私の勘違いとかじゃなくちゃんと付き合ってるのか不安になるんだけど」

「君のこと好きだし、僕たちは付き合ってるよ」

「……なんかさぁ、いっつもそうやって言うけど、私が気づいてないとでも思った?」

「?」

「明らかに趣味悪いの選んで『これよくない?』とか『可愛くない?』とか聞いてみてもさ、必ず同調するよね。適当に話合わせたり、可愛いとか好きとか言って騙せてるとでも思ってる?
私の気持ちなんて全然分かってくれてない。私のことなんて見てくれてない。
充くんは何かいつも大事なところが全然見えなくて、どんなこと思って考えてるのかもよく分からないし…
本当は私に興味ないんじゃないの?」

「……」

「無言?」

「いや、その…」

「…いいよ、分かってたから。どうせこんなこと言われても困るだけだろうなって。普段から誰とも深く関わらないし、なんか壁があって寄せ付けない感じで。でも私はそんなあなたと付き合えたから、充くんの特別になれるなんて思ったのが馬鹿みたい」

「そんな、つもりは……。」

「……私、充くんといても自信無くすだけだよ。
きっと最初からずっと私の一方的な想いだったんだろうね。
今まで短い間だったけど、わざわざ私に付き合ってくれてどうもありがとう。さよなら」

あれ、

あれ…?

何で?なんで?

うまく、いかなかった…?


彼女は僕に背中を向けて、歩き始めた。
数歩進んだところで足を止め、肩越しに振り向いて言った。


「あと。いつも笑顔だけどさ、」


「それ、やめたほうがいいよ。気持ち悪い」






彼女の足音が遠ぬいていって、聞こえなくなる。



茫然と立ち尽くして、状況が飲み込めずにいる。



うまくやれていたつもりが、同調も笑顔も全否定されてしまった。またこれも間違いだったのか?
宇宙だ
暗くて果てしない宇宙に閉じ込められてしまう…
分からない、分からない…
結局、僕には隠しても隠しきれない、人間社会で生きていくに大切なものが圧倒的に足りないんだろう。




「…あ」


体育倉庫の窓に自分の顔が映っていた。



頬を掌で拭うと、冷たく濡れた。





あぁ、すごい…初めてこうして自分の涙を見た



「なんだ、泣けるんだ…いよいよ感情無いのかと思ってた…」

1/25/2025, 4:59:19 PM