「蒼葉さん!」
「……ん」
今日も何事もなく迎えられた朝。愛おしい人の温もり が隣に、声がすぐそばにある。そんな幸せを噛み締めな がら、俺は気怠げに瞼を開いて上体を起こす。昨日のク リアのがっつきようと言ったら。昨日の出来事を表すよ うに、身体のあちこちにはたくさんの痕があった。
俺はグッと伸びをして、まだ寝ぼけ眼でクリアを捉え た。その横顔はとても悲しそうだった。寂しげに目が伏せ られて、今にも泣き出しそうに唇をかみ締めている。そんな表情を痛いほど見てきた俺は、瞬時 に目を開いてそっと背中をさする。
「クリア、お前またどこか具合が――」
「……雨が、大雨が降ってますよぉ、蒼葉さん〜……」
クリアは窓の方を指さし、めそめそと泣き出した。俺も窓の方に目をやると、確かに大雨が降っていた。空はどんよりと暗く曇っていた。
そうだ。昨日テレビで天気予報を確認した時、晴れになると言っていたから、散歩とかピクニックでもしに行くかって話をしていた。クリアは透き通った淡いピンク色の瞳を輝かせて、元気な子犬のような明るい笑みを浮かべていた。心から嬉しそうに。だが今日は突然の雨。嘘をつくんじゃない、なんて言いたかったけど、天候はコロコロ変わるものだ。仕方がない。とりあえず、クリア自体に何事もなくて安心した。俺は再びクリアの背中をさすりながら、諭すように話した。
「今日は出かけるの、やめるか。家でまったり過ごしていよう。天気のいい日に改めて行こう」
「うぅ……はい……」
俺はクリアの肩を抱き寄せて、布団の上に置かれていた手に、自分の手を重ねた。ほんのり温かい、クリアの体温。実際にここに存在しているんだと改めて実感する。そして、自分よりも少し大きい手の甲。俺はその骨格を撫でるように、指一本一本に絡める。
「蒼葉、さん?」
「ん……、あぁいや、何でもない。さてと、今日はバイトもないし、飯食ってからもう一眠りするか」
「……はい。蒼葉さんがそうするなら、僕もそうします」
クリアは手の甲を翻して、再び握りしめた。そして俺の方を見て、穏やかに微笑んできた。心をやんわりと包んでくれる、わたあめのように甘い笑み。さっきまでの表情はどこかへ消えていた。俺も釣られてはにかんで笑うと、ベッドを抜け出し、服に袖を通した。それから一緒に下の階へ降りる。少しでも長く一緒にいられることに、幸せを感じながら。
それから日中はゴロゴロ過ごして、何だかんだでお昼の時間になった。クリアと過ごす時間はあっという間だな、なんてベッドに腰掛けて切なく思っていた時。「蒼葉さん!」と、明るく呼びかける声が聞こえてきた。声のした方に顔を上げると、クリアは花が咲いたような笑顔で俺を見つめていた。
「雨、止みましたよ! 黒い雲は一つも見つかりません。晴れています!」
「ん……? あ、本当だな。一旦ベランダ出るか」
「はい!」
……なんだろう。見えないはずの子犬のしっぽが、なんだか今は見えるような気がする。それもブンブン勢いよく振りまくってるような。ソワソワしているクリアの様子に俺は少し笑ってから、一緒にベランダへ出た。雨が降った後特有の湿っぽい空気が肌を撫ぜる。だけど空には青が見えていた。もくもくと浮かんでいる雲の隙間からは、太陽の輝かしい光が差し込んでいた。この空模様を見て、ふと思った。いや、俺も午前中からずっと思っていたのかもしれない。同時に顔を見合せ、はにかみ、笑みを浮かべながら声を発していた。
「出かけるか、クリア」
「出かけましょう! 蒼葉さん」
昼食ついでに、と俺たちは家の外へ出た。所々には水たまりがあり、日光を受けてキラキラと煌めいていた。晴れて良かった、なんて思いながら空を見上げていた時。急に視界がビニール状のもので覆われた。傘だ。ポケットから出てくるビニール傘。突然の行動に驚き、チラリとクリアの方を見る。バッチリ視線が重なると、クリアはふっと口角を上げた。
「また雨が降ってきても、蒼葉さんの身体が濡れないようにするためです。雨に濡れて風邪をひかないようにするためにも」
「……そっか。ありがとな」
クリアの気遣いに心にじんわりと染み渡る。俺も軽く笑んで感謝の言葉を伝え、ゆっくりと歩みを進めた。右隣からはそっと歌が聞こえてくる。クラゲの歌。優しくて柔らかな歌声。俺を救ってくれた歌、再会の歌。心地の良い癒しのメロディに耳を傾けながら、行く先を見つめる。右耳の聴力と、右目の視力を失っても、俺が代わりになってそばで支えて寄り添っていく。人間だとか、機械だとか関係ない。お互いが愛し合っている気持ちがあれば十分。口内から自然と愛が溢れ出す。
「……クリア、大好きだよ」
「蒼葉さん……はい、僕も蒼葉さんのことが大好きです」
一度歩みを止めて、どちらともなく口付けを交わした。握られた手から、触れられた唇から、互いの熱が混じり合っていくのを感じる。いつの間にか空はカラリと晴れていた。午前中までの雨が嘘のように。そして正面には、俺たちを繋ぐように大きな虹がかかっていた。
共に想いを発して、紡いで、溶け込んで。何気なくても、幸福がいっぱいに詰まった今日を大切に過ごす。明日も明後日もその先も。本当にまた出逢えて良かった。これからもずっと、そばに。
――夢みる クラゲは 歌 かなで
キラキラ かがやく
声は ただ揺れ あなたへと……
〜(違うお題失礼します)〜
4/20/2024, 9:27:16 AM