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【刹那】

  ※作中に登場するカメラはフィルムカメラです。


「こうこうふぉとこんくーる? なんじゃ、それは」
「写真の出来栄えを競う大会よ」
「競う? かけっこか。写真が走るのか」
 わしがそう言ったら、あやつは縁側から身を乗り出すように腹を折って、笑いだした。
「なんにも走らないってば! 写真がどれだけ素敵に撮れたかを比べるの。審査員がいて、これだ、と思った写真を一つだけ選ぶのよ。その写真を撮った人は、よくできました、っていうご褒美をもらえるの」
「ほう。自分で選べるわけではないんじゃな」
「自分じゃよく撮れたかなんてわからないもん。……ううん、自分でよく撮れたな、最高の出来栄えじゃん天才じゃん、って思っても、それが他の人たちに響くとは限らないんだもん」
 あやつは傍らに置いていた〝かめら〟とやらを、そっと撫でた。小岩のようにごつごつとした真っ黒な塊から、れんず、と呼ばれる目のようなものが突き出して、正面に睨みを利かせている。人の創りし謎物体、かめら。
 この謎物体は、人や獣や風景を含めた、刹那の時間を切り取るためにあるのだという。かめらで捉えた時間を特殊な紙にどうにかして焼き付けたものが、写真。切り取られた時間は、写真という形になって、ようやく人の目に映るものになるのだとか。
 あやつの説明に興味を持って、試しにわしの刹那を切り取ってもらったことがあった。後日あやつが持って来た十枚の写真には、さまざまな角度から見た古い社、荒れかけた境内、そして、後ろの林と山が、真夏の鮮やかな深緑とともに切り取られていた。わしの姿は、どこにもなかった。
「君は神様だから、写せないみたい」
 あやつは悲しそうに言った。
「わしの時間は、人の時間と比べると、あまりにも長く引き伸ばされているからのう。かめらでわしの刹那を切り取るのは、難しいんじゃろう」
 それを聞いたあやつは、はっとした顔で「長時間露光」とつぶやき、後日〝さんきゃく〟とやらを担いできて、かめらでなにかの仕掛けを作っていた。そしていつの間にやらわしの刹那を切り取ろうとしたようだが、その際の写真にも、わしの姿はなかった。
「それで、そのこんくーるとやらがどうしたのじゃ」
「入賞したいのよ」
「すればよいではないか」
「それが簡単にできるなら、神頼みなんてしないわよ」
 あやつは口を尖らせた。
「神頼み?」
「君、神様でしょ? コンクールに入賞したいっていう私の願い、叶えられるんじゃない?」
「そんな力、あるわけなかろう」
 宮司は昨年いなくなり、ご神体と呼ばれていたものは持ち出され、賽銭箱も取り除かれ、供物のまんじゅうは持って来た本人がさっき遠慮なく食べきった、そんな見捨てられた社の神が、「存在する」以上の力を持っているわけがない。神は人の信仰を力にするものだ。
「ほかの神に頼めばいいものを」
「ほかの神様に知り合いいないもん」
 あやつはまた口を尖らせた。
「君は話しかけやすい見た目だったからなんとなく友達になっちゃったけど、神様ってみんな、なんか怖いし……近づきにくいし……」
「だからといって、わしのようなものにすがりたくなるほど、こんくーるとやらは大事なのか」
「そりゃそうよ。将来カメラだけで食べていくなら、入賞の実績でハクつけとかないと」
「かめらは食べ物だったのか」
「違うってば!」
 あやつはまた腹を折って笑った。


 そんな会話から幾刻経っただろうか。神にとっては刹那よりも短い時間、人の時間でいえば半年ほどか。
 暗い顔で境内まで登ってきたあやつから、
「コンクール、落選した」
 という報告を受けた。
「そうか」
「あーあ、やっぱり神頼みはだめね」
 あやつは縁側にごろんと寝転がった。
「私、カメラは好きだけど、カメラの才能はないのかも」
「なにもかめらにこだわらずともいいのでは? たとえば、おぬしは神が見えるのじゃから、巫女になればよいのではないか? 巫女の才能はあるぞ」
「やだー! 私はカメラマンになりたいの! 好きなカメラで評価されたいの!」
 まるで赤子のようにじたばたと駄々をこねる。その拳に打たれた縁側の板が、ボコっと音をたてて一つ外れた。
「あ」
「あ」
 とたんにあやつは申し訳なさそうな顔になって、しおしおと起き上がった。
「気にするな。いずれは朽ちるものじゃ」
「でも君、いまちょっと小さくならなかった?」
「わしはこの社の神じゃからな。社が壊れれば、そのぶん嵩も減る」
「わ、私、カメラマンになって成功したら、お金で直すから! 弁償するから!」
「そうか」
「あっ、気のない返事! 私ね、写真学科のある大学に行くんだよ。そこでカメラのことがっつり学んでやるんだからね」
「そうか」
「大学はね、ここから遠いところにあるから、私、もうすぐ引っ越すの。だからこれまでみたいな頻度では来れなくなっちゃうけどね」
「……そうか」
「ふふ、ちょっとは寂しいって思ってくれる? 帰省したらまた会いに来るからさ。それまで、元気でね。それ以上、小さくならないようにねー」
 あやつは来たときとは打って変わって、いつもの明るい笑顔で去っていった。


 そんな会話から幾刻経っただろうか。神にとってはつかの間だが、人の時間でいえば半年――それをいくつも繰り返すほどの、長い時間だったはずだ。
「やっと、来れた」
 息を切らし、あやつがここまで登ってきた。境内ともつかぬ草むらをかき分け、わしの姿を見つけて、皺の多い顔でにっこりと笑う。
「いろいろあってさ、ずっと来れなかったの。元気だった? ……そうでもないか。ずいぶん小さくなっちゃって。でも、間に合ったね。私、弁償できるぐらいには、貯金できたよ」
 あやつは背に負っていた荷物を下ろすと、中から一枚の紙を取り出した。社の縁側の、かろうじて残っている板の上に置く。重しのつもりか、端にまんじゅうも載っている。
「これは……」
「写真よ。君の」
 驚き、横からまじまじと覗きこむ。
 見覚えのある景色が、そこにあった。かつてあやつに切り取られた時間だ。縁側の板がまだすべて揃い、屋根も庇も残っている社。いまほど荒れていない境内。そして、後ろの山と林の、鮮やかな深緑。一つだけ過去に見た景色と違うのは、社の前面の庇に載っているものの存在だ。黒くでこぼことした小岩のような塊。そこから突き出した一つ目が、ギョロリと正面に睨みを利かせている。
「わしは、こんな姿だったのか」
「君、なんとなくカメラに似てたから、親近感持ってつい話しかけちゃったのよね」
 あやつはカラカラと笑った。
「この写真はね、私の目が長時間、君を映していたから、描けたのよ」
「おぬしは絵師の才能もあったのだな」
「あっ、絵だってバレバレ? でも、すごいでしょ」
 あやつが得意げに鼻を鳴らす。
「じつはね、これ、『友達』っていうタイトルで、絵のコンクールに出してみたの」
「ほう」
「落選した」
「……そうか」
「でも私自身は、いままででいちばんよく描けた、天才じゃん、と思ってるのよ」
 あやつはまた、顔の皺を深めてカラカラと笑った。

4/29/2023, 7:55:08 AM