「いらないよ、邪魔だし」
人に贈り物をする時、多くの人間は相手の反応を考えると思う。
とても喜んでくれるとか、はたまたちょっと微妙な様子とか。或いはどうだこうだ。性格とか、贈り物の内容にも依るだろう。
しかし「社交辞令」という言葉があるように、しっかりした贈り物を目にした人が取る表情というのは、大抵笑顔であるだろう。
だからこそ、目の前の彼女の言葉に体が固まった。
「いらないって、でも折角の……」
「言ったでしょ。邪魔なのよ。アンタのあげるあげないじゃない。……私がいらないのよ」
ここまでの完全な拒絶など、誰に予想できるものか。少なくとも自分には到底出来ていなかった。
ここに来るまでの少し弾んだ心であるとか、久々に会う楽しみとか、そうした気持ちなど、全て屑のようになってしまった。
しかし、流石にここまでマイナスに振り切れていては、このまま素直に引き下がるのも少ししこりが残る。足は微動だにしないまま、再び口を開くことにした。
「邪魔っつったって、全然スペースあるじゃんか。ほら、ここの窓際とかさ」
「アンタそれ本物の花だろ?置いてどうすんのさ。私は世話できんよ。まさかわざわざ、看護師さんに迷惑かけるつもり?」
「そんなんじゃなくって!別に枯れたってもいいよ!受け取ってくれたらさ!」
ガサリと音を立てながら、そうして私は彼女へと腕を突き出した。
握られているのは満開のカーネーション。今年こそとちょっとだけ奮発して、特別綺麗に仕上げて貰ったのだ。殆ど彩のないこの部屋では、一層目立って華やかな様子を見せている。
「そんな立派なモン枯らしたら今度はもっと苦しいじゃないのよ」
「だからそれでも良いって……」
「私は嫌だから。それに──」
「ああ、ああ言えばこう言う……!もう黙って受け取ってよ!折角の母の日なんだよ?!」
カッとなって怒鳴った私の声で、ヒートアップしていた会話はパタリと止んだ。壁に反響する声が聞こえるような程に、反転して静寂が訪れる。
私は、自分のしてしまった事を理解して、血の気が引き始めた。同時に酷く恥ずかしい気持ちが表れて、顔にばかり熱が籠り始める。
幾ら何でも感情的になり過ぎた。ああ、やってしまった。
内省を促すような静けさの中、ボソリと呟きの声が落ちる。
「……病院では、大きな声は出さないの」
まるで幼い子を諭すような、柔らかい口調。その声を聞いて、私はどうしようもない懐古に襲われた。
「最近、お母さん……」
なんだか変だよ。
今の私には、そこまで発する事は出来なかった。
そもそも、母は元来ここまで屁理屈をこねる人間などでは無いのだ。以前プレゼントを贈った時は、不器用ながらも笑顔で受け取ってくれていた。
彼女がここまでの態度を見せている理由、それは間違いなく────。
「……アンタも、これから人生まだまだ長いんだ。私なんかにもう構わないで良いんだよ」
顔をこちらに背けながら力無く呟く彼女の態度。それは、半年前の父の死によるものだ。
長年連れ添った相手の死は、彼女に人の終わりを大いに意識させ、或いは置いていかれる側の膨大な悲しみを植え付けていった事だろう。
母はそこまで体が強いわけじゃない。そんな矢先に持病が見つかって入院となれば、その意識は更に色濃く増していく。
私に突然素っ気ない態度を取り始めたのも、そこからだ。
……彼女はきっと、自分の死によって悲しむ人を観たくないのだろう。
他でもない彼女が、その悲しみを知っているがために。
私は片手で彼女の手を取った。シワの増えたその手は、血流が悪いのか酷く冷たいように感じられた。
俯きがちにその手を見つめる彼女を、私は一方的に見つめあげる。
「そんなのただ、寂しいだけだよ」
その呟きと共に、素早く彼女の手に花束を握らせ、すぐさま彼女から距離を取った。
咄嗟に反応できなかったのか、花束は直ぐにその手を滑り落ち、病院のベットの上へと落ちる。均一に整えられていた花々も、その衝撃でやや醜く歪んでしまっていた。
「ちょっと、これ……」
「絶対置いてくから。そっちが嫌って言って我儘で拒否するなら、私だって我儘で置いていくもんね」
貴女が例え何度私を突き放そうと、私は絶対くっついていってやる。
貴女が私を悲しませるのが嫌だと思うように、私も貴女に寂しい思いをさせたくないのだ。
「それじゃあね!」
そうして私は悪ガキのように舌を出して笑いつつ、病室から逃げ出した。今回は私の勝ちである。
──出口へと振り返るその狭間。
僅かに見えた彼女の顔には、呆れたような、懐かしい笑顔が浮かんでいた。
4/7/2025, 4:05:39 PM