記憶の地図を頼りに、小・中学校付近を散策した。
今やバーチャルで時代の変化を感じられるから、現地調査しなくて済む。いつでもできるという感覚になって、「そういえば」の感覚が薄れた。
これ、記憶の地図に頼ってないや。
単にGoogleEarthに依存しているだけで、変化の網目を散策路にしたアニメーションを観てるだけなのだった。
これでは、記憶を頼りにしていない。
いつかは現地を訪れて、十数余年の硬い息吹を感じたい。〜したい、〜やりたい。こんな風に考えてるから「いつか」は来ないで腐食する。
6/17/2025, 9:43:26 AM