「不完全な僕」
そもそも不完全なのが当たり前なので、何をもって「僕」なのかが、わからない。この題名そのものが、破綻している。不完全であることを前提として生きる。どれだけ齢(よわい)を重ねたとしても、人は不完全である。若い人を前に多少、偉くなったように感じても、死ぬ瞬間まで、成長し続ける、そんな背中を見せるだけで良い。
本当に意識の進化した人は、自分の価値観を押しつけることはない。自分もまた、この世の全てを理解しているわけではない。そう悟っているからだ。この世の森羅万象から学びとる気概もなく悟ったような気になっているとしたら、それこそ間違いに違いない。
完全などない。それは不可能だ。生きている限り達成できない。そして死がやってきて、生まれかわり、また振り出しに戻り、最初からやり直すのだ。例外なく、全ての人がそうなのだ。残された人生の時間も学ばなければいけない。何故なら、生まれかわり、また振り出しに戻るけれど、今生で頑張った記憶を持って、果たせなかった使命を自分の魂に思い出させるためだ。
私は決して忘れない。来世では、必ず世を動かす地球人となってみせる。仮に手遅れとなっていても、その時に何が起こるのか、この目で必ず見てやる。そして、この記憶を宿したまま、生まれ変わってみせる。
8/31/2023, 12:01:40 PM