お題「突然の君の訪問」
――コン、コン
ノックの音と共に、彼は突然現れた。
眠れない夜に、いつもの笑顔で、「外に行こう」と。
どうせ眠れないなら、部屋にいたって仕方がない。そう思って、毎回その誘いに乗っていた。
外に出ると言ったって、もう遠くへ行くことはない。
いつも近所の公園や、そこら辺の道を目的もなく歩くだけ。それだけでも、長い夜を眠れないままに過ごすよりはずっと良い。
「風が気持ちいいですね」
「うん、そうだね」
これといって盛り上がる話題があるわけでもない。そもそもが静寂を好む人だから、散歩の間も黙って歩き続ける時間のほうが長い。
けれど、たまに話を振れば答えてくれるし、静寂の時間さえも心地好かった。
この心地好さが、ずっと続いて欲しかった。
「今日も、月が綺麗だね」
「……あなたと見る、月だからですよ」
――あなたのくれる愛こそが、私の全て。
だからずっと、眠らないで欲しかった。眠ってしまえば、もう二度と目覚めなくなってしまうと、分かっていたから。
眠ってしまわないように、毎日病室を訪れては話をした。
一緒にいられるだけで満足するべきだったのに、彼が聞いたから。
――あなたは、どうしたい?
――私は、……
「あなたは、どうしたい?」
また、同じように彼が聞くから。
ずっと抑え込んでいた心の声を、つい、溢してしまった。
「私は、ずっと。あなたと、美しい景色を見ていたかった」
彼に問いかけられたあの日と、同じ想い。
叶えてはいけなかったから。今ではもう叶わないから。ずっと抑え込んでいたのに。
問われれば、溢れてしまう。想いに、素直に。彼が教えてくれた通りに。
「でも、あなたはもう、眠ってもいいんだよ」
――人は眠らないと、死んでしまうから。
美しい景色を求めて歩いたあの日々にも、言われた言葉。
ずっと病室で機械に繋がれていた彼に、美しいものを見せたくて。病室でしか会えない彼と、美しいものを一緒に見たくて。
眠ってはいけない彼と、眠らなければいけない私で、眠い目を擦りながら旅をした。
美しい海、美しい山、美しい空、美しい湖、美しい川、美しい街並み。
その途中で、眠ってしまったことを、ずっと後悔している。
「私が、眠ってしまったら……」
もう、会えないですよね?
そう聞きたかったのに、眠っていいと言われたら、もう眠気に抗うことが出来なかった。
本当はずっと、眠ってしまいたかった。そうして、彼と同じようにこのまま。
そんな風に思っていても、翌朝しっかりと目が覚めた。久しぶりにスッキリとした感覚を味わいながら、ふと窓の外を見つめる。
真っ白な雲に彩られた、素晴らしい青空。
月と星が煌めいた、昨日の夜空も美しかった。
ここでなら、ずっと一緒に、素晴らしい朝も美しい夜も見れたのに。
あまりに近すぎて、それに気付くのが、少しだけ遅かった。
―END―
9/10/2023, 1:39:45 PM