3rd★LIFE

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『友情』

私は…これを理解出来たのは
40を過ぎてからだ
一般的には遅いと言えるのだろう
もしくは
この年齢になって
それぞれ生きる環境が変化し
「友」と言える人が
居なくなる年頃なのかも知れない

携帯すら普及していない時代
家の電話しか連絡手段はなかった
だが毒母により、その電話すら繋いで貰えない
ただ単に「明日の持っていくものなんだっけ?」すら
繋がれないのだ
逆も然り
誰かに電話する時も、誰になんの用で電話するのか?
それによっては電話すら使用させてもらえない

こんな状況で、誰が「遊ぼう!」と誘えるだろう?
急に同級生が家に来たとしても同じだ
「どこの誰?私(毒母)あなたのこと知らないから
家の子とは遊ばせられないわ!」と…

尽く…誘いを勝手に遮断され
そこまでして遊びたいと思う子どもがいると思うか?
答えはNOだ

そうして友達と言える人が出来ることもなく
作り方も分からず
『友情』ということにも無縁で生きてきた

最初は職場の同僚という立ち位置から
今では「友達」と言える人が出来
真の『友情』とは互いに信頼し、
尊敬できる人なんだと、やっとわかった

遅すぎなのかも知れない
でもこの年でこういう仲間に出逢えたことは
逆にスゴイことなのかもしれないと思うんだ★

今までの上辺だけの『友情』には
信頼や尊敬は芽生えなかった
薄っぺらくて、直ぐに裏切る者も
また「友」だと誤解していた
でも違うんだね

嘘なく真っ直ぐにぶつかっても
それで例え意見が食い違っても
根底に信頼や尊敬があるから認め合える

私が思うに…
先ず否定してくる人は「友達」ではないね
先ずは受け入れてくれて、
間違いは間違いだと教えてくれる
それが『友情』だと思うし
『愛情』だと想うんだ

私は…愛着障害の子ども返りと共に
この『友情』と「愛情」を
今、学んでる!
みんなより遅いけど、私は…私なりに
少しずつ成長していきたいと想う♡

7/24/2024, 4:09:52 PM