心の旅路
このお題を見てふと考えた。(というよりは空想した、と言うのが正しいだろう)
私は頭があまりよろしくない為、心の旅、というい部分に注目して考えた。
もし、心がじぶんで動けたりしたらどうなるのだろう。
心も旅に行くのか?何かを探し求めてなのか、文字通り、自分(心)を癒す為に『心を癒す旅』に行くのだろうか。
元来、『旅路』とは言葉の通り、旅の道という意味で、よく聞くのは『旅路を辿る』だ。これは人生や成長の過程、経験の道のり、という感じの意味を成しているらしい。
こういう言葉を聞くと、厨二心が疼いてしまう。笑
なんてことはさておき、本来の話に戻ろう、心が自らの意思で旅をするならわたしはどんなところに行き、どんなことを考え、どんな楽しみ方をするのか…。など、非常に興味がある。
心が旅に行ってしまったら、その間の私達(人間側)はどうなってしまうのだろうか、心がいない、つまり心が空っぽの状態な為、そういう痛みは感じられないのか、それとも旅行に行っているはずの心のほうに行ってしまうのか。
でも、そうしたら心が旅行に行った意味がなくなってしまう。そうか、その場にいるよりは多少なりとも痛みが軽減されるのかもしれない。
もしくは落ち着くのが分かるのかもしれない
心というものは生きる上でとても重要だと思う。だからこそ、心には休息が必要なのだ。我々も休息できなければ、死んでしまう。だから、このように動いて自分から休息に行ってくれれば、じつに楽だ。しかし、難儀なもので、そんなことはできない。
私は自分の心に話しかけてみた。
「君だってたまには自分で…いや、一人でどこかに行ってみたいよなぁ?」
当たり前に返事はない。しかし、私には分かる。きっと、そうだ。と頷いていることだろうだって、わたしの心なのだから。
心も自分の意思を持ってしまったらどんなカオスな世界になることやら。そんなバカなことはない、と思っているが今日も私はこのようなくだらない空想に耽るのであった。
長々としてしまいました…。読んでくれた人に多大なる感謝を!!!!
12/28/2025, 10:32:30 AM