ひとりごと 「あじさい」
紫陽花と聞いて思い浮かぶのは、うちの近所に咲いている紫陽花。
大きくて、ひとつひとつの花が目一杯咲いているような、本当に見事な白い紫陽花。
昨日、飼い犬の散歩の途中で見つけた。
紫陽花があまりにも真っ白だから、その白さと、無意識に自分の心の中のどすぐろい部分を対比してしまう。
こんなに見るもの全てをネガティブに変換できるんだから、ある意味才能である。悲しきかな。
ちなみに白い紫陽花の花言葉は「寛容」。
私も寛容になりたいなあ。
なりたいということはまだなれていないということ。
つまり、心が狭いと言うこと。
自分では優しい時ととげとげしい時の差が激しいと感じる。
券売機の前で困ってそうなおばあちゃんがいたら、券の買い方を教えてあげたことがある。
てっきり心優しい人間なのかと思いきや、目の前で人が物を落としても拾ってあげないときもある。
人間っていうのは不思議な生き物だ。
人間というか、「私」というヒト自身が不思議な人間なのだろう。
自分自身でもよく分からないが、複雑で面倒くさい性格をしている。
自分でさえ自分の取り扱い方がよく分からない。
自分に厳しいけど甘い。
「こんなにぬるいもんじゃダメだ」とストイックに本気で思うのに、努力しようと思うのにできない。
できない状態の中でも常にストイックな心境のまんまだから、体はしたくないのに心はしたい。
体と心で摩擦が起こり、熱が発生して、火事が起こる。
火事が起こると何もかも放棄してしまう。
火事の火の燃え盛る激しさのピークを過ぎたとしても、火はずっと燃え続ける。
激しくなったり弱まったりしながら一向に消えない。
しかしそれはもう慣れたことだ。
ここ数年はずっとそんな感じである。
ただ根性がないだけなのかもしれないし、周囲の人間が私に甘すぎるのかもしれない。
その両方かもしれない。
この問題を解決したいが、解決しようと行動しないのが私という人間である。
偉そうに語っているが阿呆な人間だ。
本当に阿呆だ。
解決するためのエネルギーを集める方法も蓄える方法も放出する方法も知らない。
知らないふりをしているだけかも。
知りたくない。分かりたくない。
知ってしまったらせねばならなくなるから。
問題を後回しにしたって結局自分にのしかかることはわかっている。
わかっていながら後回しにするのが私という人間である。
本当に本当に阿呆な人間だ。
どうしてこんなふうに育ってしまったのだろう。
昔は天使のような子だったはずなのに。
人生楽しかったはずなのに。
心のどすぐろさは汚くなるばかりだ。
生きるのが苦しいな。
6/13/2024, 3:11:52 PM