初音くろ

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今日のテーマ
《1年後》





寒い。おなかすいた。
寒い。おなかすいた。
寒い。おなかすいた。

ザーザーと音を立てて降る雨を少しでも凌ごうと、橋のたもとで身を縮める。
でもそこも強いのせいで雨は容赦なく吹き込んできて、大して雨は凌げない。
川はゴウゴウと凄い音を立てて流れていく。あれに飲まれたらちっぽけなボクなどひとたまりもないだろう。

その日、お母さんから今日は大人しくしてなさいって言われたのに、ボクは好奇心に任せていともより遠くまで遊びに出てしまった。
たぶんお母さんは知ってたんだ。今日は外が普段よりずっと危ないってことを。
ボクは兄弟の中では一番体も大きいし、足だって早い。
おとなにちょっかい出して怒られても、素早く逃げおおせるだけの機転だってある。
だからもうすっかり自分はおとなと同じようなものだって思ってた。
少しくらい遠出するのなんか、わけないと自惚れてた。
でも、こんな状況になって初めて気づく。
おとな達はボクがまだ子供だからってきっと手加減してくれてたんだろう。

寒くて、おなかもすいて、もう全然力が入らない。
雨は強くなる一方で、風はビュウビュウ吹き荒れてて、たとえ元気だったとしてもこんなんじゃどこにも行けない。
ボクはこのままここで死んじゃうのかな。

「こわいよー! お母さーん! 誰か助けてよー!」

ボクはなきながら必死で助けを呼ぶ。
大きな声を出せば、もしかしたら誰かが気づいて助けてくれるかもしれない。
近くのおとなが気づいてくれたら、お母さんのところへ連れてってくれるかもしれない。
こんな天気でそんな都合のいいことあるわけないって頭の片隅で思うけど、それでもボクは必死で助けを請う。
何もしなかったら、きっとこのまま死んじゃうだろうって分かってるから。

どれくらいそうしていただろう。
最初は大きな声で助けを求めてたボクだけど、もうそろそろ限界で、時々小さな声で助けを求めるのが精いっぱい。
そんな時、ふと、橋の上から声がした。

「今、何か聞こえなかった?」
「気のせいじゃない?」

「助けてー! 助けてー!!」

ボクは最後の力を振り絞って懸命に助けを求める。
最初の時みたいに大きな声はもう出せなかったけど、それでもここで気づいてもらえなかったらきっとボクは助からない。

「こわいよー! 助けてよー! 誰かー!!」

ボクの必死の声が聞こえたんだろう。
話し声と、土手を駆け下りてくる複数の足音。

「あっ! いた!」
「かなり弱ってるみたいだな」
「とりあえず連れて帰ろう。怖かったね、もう大丈夫だからね」

そんな言葉と共に、ボクの体が大きな手でふわりと抱き上げられる。
温かくて優しい手で抱き寄せられ、ボクはそれまでの恐怖から逃れるようにその人に縋りついた。
大丈夫、もう大丈夫だよ、と何度もかけられる声。
濡れそぼっていた体を温かい布で包まれてホッとする。
助かったんだとやっと実感したボクは、ようやく安心して全身の力を抜くと、今度はなきながらその人達に空腹を訴えたのだった。


それから1年後。
ボクはあの時ボクを助けてくれた人達の家の子供としてのびのび暮らしてる。
最初の頃はお母さんや兄弟達のところへ帰りたいとないた日もあったし、今もどうしてるかなって時々思い出す。
でも、今のボクの家はここだ。
今のママとパパ、新しい家族が大好きだし、ここでの生活にはとても満足してる。
寒い思いもひもじい思いもすることないし、オモチャもたくさんあって快適極まりない。
今日も今日とて新しいオモチャで夢中で遊んでいたら、パパにひょいっと抱き上げられた。

「ああっ、こら! また悪戯して!」
「そんなとこに置きっ放しにしとくからでしょ」

オモチャを取り上げてパパが文句を言ってきたけど、ママはボクの味方だ。
パパはため息をついてボクをソファに降ろすと、そのオモチャをボクの手の出せないところにしまってしまった。
仕方ない、今日のところは諦めて、また次の機会に遊ぶとしよう。

「あれから1年か……拾った時はあんなに痩せっぽちで今にも死にそうだったのにな」
「ほんとだよね、元気に育ってくれて良かった」
「ちょっとヤンチャすぎるけどな」

パパとママの話し声をよそに、ボクはソファから飛び降りて、今日の見回りを開始する。
隣の部屋に寝かされてる妹の見守りがボクの役目だ。
タンスを足掛かりにベビーベッドに飛び移って、すやすや寝息を立ててるのを観察する。
ミルクの甘い匂いを振りまきながら、妹は今日もよく寝ている。
起きたらまたボクの自慢の尻尾であやしてやろう。

あの運命の大雨の日から1年、ボクはすっかり大人になった。
でも、この家で、この家族の元で、ボクは『子供』として可愛がられて暮らしてる。
あの時、橋の下でこのまま死んじゃうんじゃないかって不安な気持ちでないてたボクに教えてやりたい。
「1年後、ボクはこんなに元気に、幸せに暮らしてるよ」って。







6/25/2023, 5:37:25 AM