のねむ

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別れ際に、花を、置いて行こうとしたのは、昔読んだ小説の中で出会った『別れる男に花の名前を一つ教えておきなさい。 花は必ず毎年咲きます』という文章に酷く惹かれたからだ。
君は、花の名前をそれほど知らなかった。花に興味を持つような人生を歩んでた訳ではないし、花と触れ合うような性格でも無かったからだろう。私も似たような感じだった。そりゃあ、私は公園や道端に控えめに咲いている花の名前は流石に知っているけれど、君は公園にも行かなければ、道端に控えめに咲いている花など目もくれないだろうから、教えたって無駄だと思っている。
だから、ブライダルベール、その花を選んだのは、何となく君の目に入っても蹴飛ばされるだけだと思ったから。仮に手に取ってじっくりと見たとしても、君には何の花か分からないと確信していたから。


私は君と、別れる道を選んだ。
例えば、並行世界の私がいたとしても、同じ道を選んだと思う。そんなことを思案したところで私が私として生きているのはこの世界の私だけなのだから、意味が無い事だけれど、それでもそんなことを考える事でしか気を紛らわせる方法が無かったのだから、仕方がない。
君は何時も何の屈託もない様な笑顔で私の隣を歩いていた。私はそれが出来なかったのだ。人の目を瞞着し続けるのが苦しくなったと言えば、軽く聞こえてしまうのが少々厄介だなと思う。分かるだろうか、堂々と手を繋ぐ事が出来ない辛さが。分かるだろうか。大切な人の、大切な人達に対して常にまことしやかに嘘をつく、その苦しさが。
信頼を寄せた相手に伝えた真実が、恫喝の道具として使われる度に生きている事さえ嫌だと叫ぶ心を、脳みそを、そのまま割って貴方に直接見せてあげたいと思うほど、私は苦しさに押し潰されてしまっていた。
人間は皆、醜く自分勝手な生き物だ。




「人間を十把一絡げに見てはいけないと思うけど。」

いつもと変わらない声で、君はそう言った。聞き慣れない難しい言葉に、私の頭は一瞬だけ思考を止めた。

「ジッパーに一唐揚げ?」
「十把一絡げ、色んな種類のものを、一纏めにして扱う、ということ。正に今の君に与えるべき言葉だ。」
「うわ、何それ〜」

酷い!と言いつつも確かに私に与えられるべき言葉だと、暗くなる思考の中で思った。
君の言う通り、人間全てが醜く自分勝手な生き物と言う訳ではなかったかもしれない。他人を思う余り、自己犠牲の塊となってしまった人間もいた事が、頭の片隅にぼんやりと浮かんできたが、直ぐに消えてしまった。あれは、誰だっただろうか。
考える事すら面倒くさくなった私は、隣に座っている君にもたれかかった。重たい、と言われたけれど聞こえないフリをしてもっと体重をかけてやった。


幸せと不幸の境目は何処なのだろうか。
幸せは、いつだって不幸を伴って歩く。幸せを知ってしまえば、不幸を知ってしまう。逆もまた然り。
一生を連れ添って歩く、互いの揺るぎない愛だけを信じている夫婦のように、切っても切れぬ何かが幸せと不幸にはあったように感じてしまうのだ。
何処だと思う?と君に聞くと、笑って「境目は、一人一人の心の中にしかないと思うけれど。君はどうなのさ」逆に問われる。

問われたから考えてみた。私の心の中に、境目は無いとその時初めて知った。幸せは必ず不幸を連れ添って歩いてきた。どれだけ拒もうとも、頑なに離れず共に来た。幸せを知らなければ、不幸も知らずにいられたから、多分きっと何時かの時に記憶から消したのかもしれない。何も知らなかった純粋無垢な自分を、取り戻したのかもしれない。分からない事が沢山で、考えることが苦痛になったから目を瞑って眠った。



私は自分を雲のような曖昧模糊とした存在だと思っている。風が吹くだけで、姿形を変えてしまう雲のように、流れに身を任せているだけだから、今を生きている実感が全くもって湧かない。だから、君が別の誰かと結婚すると聞いた時、教えてくれた君の友達(多分)に「早く別れろ」と言われたから、別れる決意をした。
結婚するという話が本当かは分からなかった。けれど、結婚も、もっと言うと子すら望めない、手に入るものと言えば、世間からの好奇心旺盛なキラキラと輝く刃のような瞳と、風に揺れた木々のざわめきの様な人の声しかない私が相手では、きっと君を不幸にしてしまうと思ったのだ。互いの愛という、不確かな幸せは手に入ってもそれと同時に、そんな大きな不幸を君に背負わせてしまう。ならば、別れるのが正解だと思った。


花を置いていったとしても、君はきっと何か分からないだろう。ただ、誰かがゴミを家の前に捨てたと思うだろう。それでいいと思った。

いつも通り、君の家に行き何事もないように過ごした。「別れよう」その言葉は、言えそうになかった。
どうやら、また少し幸せを知ってしまったらしい。それと同時に、不幸もまた、やってきた。
そろそろ良い時間だから帰ると言えば、君は見送りに玄関まで着いてきた。これも、もう最後になるのかと思ったら泣きそうになったけれど、何とか耐えて「ばいばい」と口にした。
ドアを閉めた時の音は、いつもより冷たく感じたから、早くどこかに行ってしまいたいと、慌ててカバンから花を取り出した。花嫁のベールに似た、この花を選ぶとは皮肉なことだと自分を非難して、そっと玄関の前に置いた。
君に見つかるのは、明日の朝だろうか。その時までに、風で飛ばないといいけれど。







ひとり寂しく歩く私の心には、大きな穴が空いたようだった。その穴を容赦なく風が吹き通るから、我慢していた涙が、止めどなく溢れてくる。
さよなら、と告げる私の後ろから、声が聞こえた。


「全く、君は何だってそんなに自分を犠牲にするんだ。」と。

驚いて振り向くと君がいた。
走って来たのか、少し汗を滲ませた、だけどいつも通り綺麗な屈託のない顔をしていた。

「何で、」
「君が、「ばいばい」って言ったから、嫌な予感がした。別れ際に次も何事もなく会えるようにって、「またね」って言う君が、二度と会えないさよならを滲ましたから、不安になって追いかけようとしたんだ。」

そしたら、この花が。
そういう君の手には、さっき私が別れの言葉の代わりに置いてきた、ブライダルベールがあった。
君の目には、ただの葉っぱにしか見えなかったであろう花が、君に蹴飛ばされると思っていた花がそこにあった。


「私が置いていったのか、分からないのに」
「いいや、君しかいないさ。こんな臆病なやり方で、私に思いを告げるのは。」
「花なんて、興味無いんじゃ、」
「私の、外見では花が好きだなんて、似合わないだろう。だから、嘘をついていたんだ。」


驚きと困惑、疑問と、色々な感情が渦巻いて、止まりかけていた涙がまた溢れ出てきた。
君は、眉を下げて笑って、私の涙を拭い始めた。


「君が聞いてきた、幸せと不幸の境目。あの事だけれど、私の幸せと不幸の境目は、君がいるか、いないか。
君がいれば、私は幸せだし、君がいなければ、私は不幸。それだけなんだよ。」

泣いて上手く声を出せないことを気遣うかのように、未だに私の涙を拭いながら更に言葉を続けた。

「私の幸せを願い続けたいのなら、君がそばに居なくちゃ駄目なんだ。君が、幸せを怖いと思うのならそれでも構わない。私の幸せの為だけに、そばに居てほしい。」


私は頷いた。
幸せが、全てを手放すのが、怖かっただけの私は、勝手につくった君の不幸を言い訳にして別れようとした。臆病なやり方で。
そんな臆病者の私が居なければ、幸せになれないと君が言うのなら、私もまたそうなんだろうと心の中で思った。
私も結局は君が居なければ、幸せを感じられず、不幸も見つけられなくなるのだろうか。
考えることが苦手な私は、やはり最後まで思考を深くすることは無かったけれど、ぼんやりと雲のような感覚の中で思った。君から与えられる不幸なら、喜んで受け入れよう、と。



抱きしめあった2人の周りをいっそう強く風が通り抜けていった。
その風は、君の持っていたブライダルベールをどこかへと運んでしまったけれど、そんな事にも気付かぬ様子で2人はずっと抱きしめあっていた。











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長く書くと、何を書きたいのかが、上手く思い出せなくなるので、今度からはノートに大体のあらすじを書いてから書こうと思います。

今見返したら長すぎてビックリしました。
十把一絡げ、最近覚えた言葉です。使い方あってるか分かりませんが、言葉だけを覚える時に「ジッパーに一唐揚げ」と紐付けると簡単に覚えられました。

因みに、三浦しをんさんの、「天国旅行」を読みました。(そこで十把一絡げを知りました。)
中でも、遺言と炎が凄く好きでした。私も酷く、心中しても良いと思えるくらいの恋を体験した気分です。

人の愛とは身勝手なものですね。
愛も死も自己完結だけで、終わらせてしまえる所があるからこそ、天国旅行の中の作品はもやもやと、はっきりとした輪郭を浮かばせないのかなと。夢の中で見た物語のように、続きが見たくても見れない、そんな感じでした。

何となく、押し付けられる愛とか、幸せのことを書きたかったんですが、難しいですね。


ぜひ、暇があれば、読んで見てほしいです。
心中をテーマにしているので、重く薄暗いので、そこだけは、ご注意を。

9/28/2023, 1:40:10 PM