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「じゃあ優しくすんな!!」

そうぶっきらぼうには言い放たれたのは何時だったか。覚えていないくらい幼い頃なのだと思う。
弟は幼さ特有のまろい頬に大粒の涙を流しながら、裾の長いシャツを翻して部屋から出て行った。
あの時何故喧嘩をしたのか、理由は思い出せない。
ただ、弟が「じゃあ」という言葉を使ったということは何か弟について言及するような言葉を僕が言ったのだろう。その言葉に弟は傷つき、家族を大切にしている弟が優しくしないでほしいと思うくらい僕は拒絶されていた。
今考えると心臓を握りつぶされたような衝撃を受けるが、当時の僕は弟をそこまで大切に思っていない、それはもう素晴らしい大馬鹿だったのだ。
故に泣いている弟がいたという事実に興味すらなくなって仲直りに長い時間をかけたものだ。


「兄さん大丈夫?」

随分長い間上の空だったらしい。出かけていた弟が帰ってくるまで本でも読んで待っていようと考えていたが、本を読むという行動に移るまでに彼は帰ってきていた。ただいまと声をかけて、何時までも玄関まで来ない僕に疑問に思ったとはにかみながら言う弟。
天使だろうか。確かに仕事が忙しかったり他に用事があったりする時以外は弟が帰ってきた瞬間におかえりを言うためだけに普段使わない脚力を使ったりしていた。それを見た僕の友は顔を顰めて「うわキモイ。」と声を漏らしていたが、そんなこと知らん。

「あ、今日兄さんの友達に会ったよ。彼女さんとデートしてた。」

買い物先は街だと言っていたが、アイツもそこにいたのか。毎日陽気な友の顔を思い出して、やめた。なんかめっちゃくちゃウザイ顔してるな。思い出すだけで胸糞悪い。
それはそうと、弟の両手に持たれている買い物袋に目を移す。重たそうなそれは珍しく食材が入っていた。

「何か物足りなかったか?何かあれば執事に頼め。」
「これは僕が独自にやりたいことだし大丈夫だよ。それに執事さんも兄さんの案件で忙しいだろ?」
「そうだったか?」
「この間パーティすっぽかしただろ。それの埋め合わせで執事さん今駆け回ってるんだから反省しなよ。」
「善処はする。」
「いつからそんな日本人風な言い回しするようになったんだよ。」

あのパーティの日は確か弟がディナーに誘ってきた日だったか。パーティのことを言ってなかったとは思いながらもふざけた建前上のパーティと弟なら確実に弟を僕は取る。まぁあの後執事から電話が来た弟が鬼の形相で僕を叱りつけてきたのは怖かったが。

ビニール袋に入っていたものをキッチンに置きに行くと言うので、とりあえず僕は冷めきった紅茶を持ってリビングに移動した。大型のテレビの前に座ると、先程読もうと思っていた本を開く。
これは日本の書物だ。弟が離別していた時に住んでいた国なのだが、難しい言語でまだ理解はできない。少しでも弟のことが知りたいと読み始めて長く経つが、日本語とは複雑な言語らしい。
そういえば、昔の話に戻るがどうして弟は僕に優しくすんなと叫んだのだろう。正直当時の僕は弟に優しく接した覚えがない。それどころかいつも付き纏ってくる弟に嫌気がさしていたような気もする。
どうして僕がこんな奴の面倒を見ないといけないんだと文句を言った覚えもある。本当に最低のクズ野郎だったとは自覚しているが、そんな僕に何故彼は…。
そこまで考えたところで、弟が自分用のマグカップを持ってリビングに来た。iPadと教科書を持っているところを見るに今から勉強をするらしい。

「…昔のことは覚えてるか?」

勉強をする時にこんな質問をするべきではないとわかっているが、疑問は解消しなければ気持ちが悪い。首を傾げる弟に、昔のちょっとした喧嘩を話してみた。

「あぁ、覚えてるよ。」

苦笑してマグカップに入っているものを一口のみこんでから弟は昔を思い出すように目を瞑った。

「あの時はまだ、この家に来たばっかりだったから。知らないことばかりで戸惑ってて、でも歳の近い兄さんになら話しかけられるかもって思ってた。」

語り出した弟の話に静かに聞き入る。じっと見つめていると穴が開くよと笑われた。

「さっき兄さんは優しくしてないって言ってたけど、僕からしたらついてまわってる間に転んだりして、その時に毎回呆れながらも手を差し伸べてくれたりするのがとてつもなく暖かかったんだ。」
「そうか。」
「兄さんこそ覚えていないかもしれないけど、何度転んでも文句を言いながら手を引いてくれてたんだよ?」

幼い頃の弟とは違う、凛とした顔立ちにふわりとした笑顔。手を引くとか、転んだら起こすとか、そんな当たり前のことで幸せを感じていた当時の弟の話は僕の心臓を鷲掴みするには十分だった。

「あの時は初めての喧嘩に気が動転してさ。優しくすんなって言ったのは、優しくされたら自分が愛されてるって勘違いしそうだったから。初めての家族で、嫌われたくなかったって言うのもある。」
「…嫌わないだろ。絶対。君を嫌ってるやつは頭がおかしいんじゃないか?というか愛されてるって勘違いじゃないぞ。君はこの家全体から愛されてるんだ。」
「はは、それはもう兄さんが僕に再度会いに来た時にわかってるよ。」

小さく笑い声をあげる弟に安堵する。離別中はずっと手紙のみのやり取りで本当に弟が元気なのかよく疑ったものだ。あの時から着いている執事にはよく「坊ちゃん達がまた一緒に住まわれて嬉しゅうございます。」と泣かれる。冷めきった紅茶を一口のみ、じわっと広がった苦味に何故か無性に泣きたくなった。
あぁ、今幸せだな。と改めて実感した日。

【優しくしないで】

5/2/2023, 1:49:28 PM