白玖

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[透明な水]

水は無色透明で一見全てを見透かしているようにも見える。
だが、溶けてしまえばそこに何が入っているのかを隠すものでもある。

「はい、どうぞ」
ありがとう、と君は僕の手からカップを受け取り、薬を流し込む。日常的に向精神薬を服用する彼女を、僕は見詰める。この現代社会でストレスフリーに生きることの難しさはよく知っている。生きるのが辛いと、生きていたくないと、君はよく口にする。僕は彼女を愛している。だからこそ、この地獄から彼女を解放させてあげたいと常々考えている。いくら彼女を愛する僕がいたとしても彼女にとってここは生き地獄でしかない。愛は全てを解決する訳ではないと君と出会って知った。一度植え付けられた絶望は簡単には消し去れないと僕は知った。上書きして、騙し騙し生きていくしかない。傷が深ければ深いほど愛にすら目を背けてしまう。

君からコップを受け取り流しで軽く洗い、食洗機の中に置いておく。
君は料理をしないから食器棚の奥に隠してある粉薬の存在を知らない。

君を愛してる。その弱さすら愛おしくてたまらない。
君の傷を癒やしてあげられたら良かったけど、君の傷は僕の想像の何十倍も深くて、傷付き苦しんでる君を本当の意味で癒やしてあげることが出来ない。
ただ側にいて、苦痛が終わる日が訪れるまで愛してあげることしか出来ない。
端から見たら僕の行動は間違っていると言われるのかもしれない。この行為は犯罪で、本当に助けてあげたいなら別の道を探すべきだと、言われるかもしれない。
精神科に行ったり、自己啓発セミナーに行ったり、薬に頼ったり、変わろうと努力したり、やれることを全部やれるだけが人間じゃない。
自己肯定感や存在理由を意味もなく叩き壊され、スタートに立てずに終わる人だっている。そんな人の背中を無理やり押すことが助けだとは思えない。
ただ寄り添い合い、歩幅を合わせて一歩ずつ一緒に歩くのが正しいと考えている。
一度壊れてしまった心は、時が経ってもふとした拍子でまた壊れてしまうものだから。

だから僕は君を失ってしまうとしても、君がこの世界から逃げ出したいというのならそれを手伝ってあげたい。苦痛に満ちたこの世界から君が助けてほしいと言うなら、手伝わせてほしい。一緒に逃げてと言ってくれるなら何の未練もなく君と一緒に歩いていける。

だから僕は
無色透明な水に、君への愛を隠(とか)す

5/22/2023, 3:42:24 AM