気づけば、陽が暮れかけていた。
まただ。記憶を辿れど思い出せない空白に眉が寄る。
「どうした?しかめっ面なんかして」
不意に顔を覗き込まれ、問いかけられる。
「また、気づいたら一日が終わろうとしている」
ぽつりと呟けば、呆れた笑い声が響いた。
「お前、いっつもぼんやりしてるからなぁ」
「どうしたの?何か楽しそうなことでもあった?」
「こいつが、ぼんやりして一日が終わったことが大層不服らしい」
「なんだ。そんなことかよ」
友人たちに笑われて、益々眉が寄っていく。刻み始めた眉間に皺を、ごめんと笑顔で謝られながら伸ばされた。
頭を、背を撫でられる。子供扱いは、文句が溢れ落ちそうになるが、いつものことだと言葉になる前に呑み込んだ。
「一日が穏やかに過ぎたってことじゃねぇか。いい事だよ」
「そうだな。平穏無事に今日が終えられるのだから、問題はないだろう」
「気にするなら、明日はもっと楽しいことをしようよ。ぼんやりする暇がないくらいの、素敵なことを」
仕方がない。慰める友人たちのためにも、切り替えなければ。
溜息をひとつ吐いて、立ち上がる。
見上げた空は朱く、烏も鳴きながら山の向こうに帰っていく。
もう、帰る時間なのだ。
「帰ろうか」
誰かの言葉に頷いて、皆揃って歩き出す。
込み上げる不安は、見ない振りをした。
所々で感じる空白を笑うように、穏やかな日々は続いていく。
「見て!綺麗でしょ」
そう言って、友人がくるりと回して見せた小さな葉は、美しい紅色色づいていた。
「今日は紅葉狩りに行こうよ」
「ん。いいんじゃないかな」
赤に目を奪われながら頷けば、手を取られて歩き出す。
今すぐなのか。気の早い友人に、思わず苦笑した。
遅れて着いてくる他の友人を気にも留めず、楽しげな鼻歌が隣から聞こえる。
余程楽しみなのだろう。そう思うと、こちらも楽しみになってきた。
何気なく見上げた空は、澄み切った青が広がっている。
そよぐ風が心地好い。穏やかな気持ちで、目を瞬いた。
「――あれ?」
「どうしたの?」
溢れた言葉に、友人が反応する。
「今、紅葉狩りに向かっていたような……」
見上げる空は、変わらない青。けれども直前まで歩いていたはずの散策路ではない。
近くの堤防。草原に座り、広場で野球の真似事をしている友人たちを見下ろしていた。
どくり、と心臓が嫌な音を立てる。
「昨日のことね。結構歩いたから、疲れて忘れちゃったかな」
「だとしても……これは……」
「どうした?」
自分たちの様子が気になったのだろう。遊びを止めた友人たちが、こちらに歩み寄ってくる。
「また、覚えてないって」
「あぁ……でも、どこも調子が悪い訳じゃないんだし、気にしなくてもいいんじゃないか」
「気にしすぎる方が、余計に悪くなるぞ」
慰める言葉に、それでも不安は消えることはない。
何かがある。病気か、何か。
「そうかな……なら、気にし過ぎないようにする」
大丈夫だと笑ってみせながら、心の内でそんなはずはないと友人の言葉を否定する。
一度、病院に行こう。
密かに決めて、談笑する友人たちの輪に加わった。
ぱちん。
何かが弾けた音がして、目を開けた。
空は青く、澄んでいる。いつも見る空と何も変わらない。
「――なん、で」
空の下。広がる光景に、目を見張った。
ひしゃげた信号や標識。崩れ、壊れた家々。
土に埋まる故郷の成れの果てに、空白が埋まり出していく。
雨が。水が流れて――。
「駄目だっ!」
強い言葉と共に、目を塞がれた。
「何も見てない。お前は少し悪夢を見ただけだよ」
後ろから抱き竦められ、言い聞かせられる。
「忘れろ。泣くことすらできないほどに苦しいものは、全部忘れちまえ」
右手を取られ、包み込むように握られる。
「ごめんね。これしかできなくて。何もしてあげられなくてごめんなさい」
左手を掬われ、優しく抱き締められた。
「どうして……?」
呟きに、返る言葉はない。答えを期待した訳でもなかった。
友人たちに触れられた部分から感じる熱が、じわりと自分の中に溶け込んでいく。暖かなそれは、歪な空白をそっと埋めていく。
「――ありがとう」
そっと囁く。
泣けない自分の代わりに泣く優しい友人たちに微笑んで、埋まりきらない空白に背を向けた。
「眠い」
「あれだけ寝てたのに、まだ寝る気か」
穏やかな日々。変わらない景色。
「こう暖かいと、確かに眠たくなるよね」
「じゃ、昼寝すっか」
友人たち以外に誰もいない町。
来ることのない、本当の明日。
「おやすみ」
「はやっ!?」
「おやすみなさい」
「お前もか」
すべてを空白の中に押し込んで、友人たちに囲まれ穏やかに笑う。
自分の中の空白は、もう気にならない。
優しい友人たちが側にいる。
心の傷が広がらないように作り出された暖かな空白を、知ろうとする必要はないのだから。
20250913 『空白』
9/15/2025, 4:51:03 AM