sairo

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綺麗な人だと思った。

夕暮れの散策路を空の鳥かごを抱えて歩く人。普段ならば気にもならない、道行く他人が気になってしまったのは、夕日とその人があまりにも似合わなかったからだ。
手を止めて、しばらくその綺麗な人が通り過ぎるのを待つ。歩いているだけだというのに、その所作はとても美しい。まるで昔呼んだ絵本の中の妖精の王様のようだと、ぼんやりとそんなとりとめのない事を思いながらその背を見送った。
意識を切り替えるように頭を軽く振って、スケッチブックに線を走らせる。けれどもその手は思うように動かせず、少し悩んでからページを一枚めくった。

記憶を頼りに線で描く。
空には夕日ではなく欠けた月。星空の下、鳥かごを抱えて歩く綺麗な人を描き上げて、納得した。
あの人には、やはり太陽よりも月の方が似合っている。

「これは見事なものにございますね」

急に後ろから声がして、飛び上がるように驚き振り返る。

「驚かせてしまいましたか。申し訳ありませぬ」
「なっ、んで」
「なんで、とは。これまた異な事をおっしゃる。見ていたのは貴女でございましょうに」

ふわりと微笑まれて、羞恥に顔が赤くなる。見ていたのを見られていたとは思わなかった。
それに勝手に描いてしまった事に対しても申し訳なさが募り、耐えきれずに俯いた。

「ごめんなさい」
「素直に謝罪が出来るのは、とても良い事です」

思っていたよりは穏やかな声音。怒ってはいないかもしれないと、僅かに安堵する。
だけど本人の了承もなく絵を描くのはとても良くない事だ。もう一度しっかりと謝罪するべきかと、頭を上げる。
謝罪を口にしかけ、けれどかたん、という軽い音に言葉が止まる。
空のはずの鳥かごの中から、何か音がした。

「お気になさらず。早く外に出たいと暴れているだけの事。まだ陽がある故に外には出せぬというのに、我が儘な事です」

苦笑し鳥かごを撫でるその人の眼は、言葉とは裏腹にとても優しい。
大切にしているのだなと思うと、得たいのしれない鳥かごの中身なんて気にならなくなってしまった。

「あの、本当にごめんなさい。これからは気をつけます」
「構いませぬ。私は咎めに来たわけではありませぬ故。無心に描く貴女の絵に興味を引かれただけの事にございますれば。これからも思うがままに描くとよろしいでしょう」

かたん、とまた鳥かごから音がする。
空の鳥かごの中央に座る、幼い女の子の姿が見えた気がした。

「それでは失礼致します」

優雅に一礼して去っていくその背を見送って。
やはり綺麗な人だなと、そう思いながらスケッチブックのページをめくった。





欠けた月の浮かぶ夜。
誰もいない散策路を鳥籠を抱え術師は音もなく歩いて行く。
かたり、かたり、と音の鳴る鳥籠を、意にも介さず歩き続け。

不意に術師の足が止まる。
変わらず音を立てる鳥籠に呆れたように息を吐き、扉へと手をかけた。
刹那、鳥籠が揺らめき箱へと姿を変える。
封を剥がして蓋を開き、中から幼子を取り出した。

「五月蠅いですよ。満月《みつき》」
「みつりがわるい」

不機嫌を隠そうともせずに、幼子は下ろせと暴れ出す。
それを軽くいなしながら箱を呪符へと戻し、それを幼子の顔面に貼り付けた。

「なっ、ばか」
「五月蠅いと申し上げているでしょうに。落日を待たずして荒立つなど、焼けたいのですか」

呪符を剥がそうと躍起になる幼子は、その言葉に動きを止める。
呪符越しの金が深縹と交わり、ゆらりと揺らめいた。

「斯様な事、幼弱な満月には出来るはずなどありませぬ故に。真に愚か者にございますね」
「みつり」
「それとも嫉妬でもなさいましたか。あの憐れな娘に」

深縹が楽しげに歪む。呆れを宿した金が睨めつけるのも構わず、幼子のその柔らかな頬をつついた。

「やめろ。そんなわけがあるか。ころしてしまうかとおもっただけだ」
「あの程度で殺めるわけがないでしょう。私とて道理は弁えておりまする。閉じてしまおうかとは思いましたが」

やめろ、と心底嫌そうに首を振り、術師の腕から逃れようと身を捩る。結局は無駄な足掻きで終わるその弱い抵抗を宥め、術師はくつくつと喉を鳴らして笑った。

「閉じてしまえば、存外幸せになれるやもしれませぬ。現を忘れ、命尽きるその時までひとつに心を傾ける事が出来る方が、あの娘には向いていましょうや。その先で娘がどんな化生に成るのか、興味がありませぬか」
「へんたいだ」

つつかれていた頬をつねられる。痛みにさらに暴れ出す幼子の体を落とさぬようしっかりと抱きかかえ、術師は無言で歩き出した。

「いたい。みつり、はなせ。ほんとうにいたいって」
「仕置きです故、痛くするのは当然にございましょう。言葉には気をつけるようにと躾けておりますのに、何時になれば女子らしく淑やかになるのですかね」
「みつりよりもおんならしくなど、なれるわけないだろう」

頬をつねる力が強くなり、その痛みに幼子の目に涙が滲む。
すまなかった、と溢れ落ちた微かな謝罪の言葉に、術師はようやく手を離すと赤くなった頬を優しく撫ぜた。

「子を育てるとは、難しいものですね。特に満月は我が儘にございますし」
「きにいらぬならば、そこらにすておけ。ひがのぼればもえてくれるだろうよ」

疲れたように目を閉じる幼子に、術師は眼を細め。

「満月」
「みつりがいらぬならば、わたしもいらぬ。すきにすればいい」

首に伸びかけた手は、けれどもその言葉に止まり。
代わりにその指は目尻に残る涙を拭い、あやすように小さな体を胸元に抱いた。

「なればその命。燃やさず留めておくことに致しましょう。私が終わるその時まで」

囁く言葉に幼子は眼を開き、仕方がない、と声に出さずに呟いて。
穏やかな光を湛えた深縹を見つめて微笑んだ。



20240915 『命が燃え尽きるまで』

9/15/2024, 10:25:01 PM