sairo

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囲炉裏端で少女は姿勢を正して座り、訪れるはずの神を待っていた。
今年も、何事もなく年が明けた。やがて、山から神が降りてくるのだろう。
小正月になると、この村には来訪神が訪れる。山から村へと訪れ、家々を巡り歩くという。
少女の家にも、毎年のように来訪神が訪れていた。もっとも、それは村の男たちが来訪神に扮していたものではあったが。
だが一度だけ少女の家に、本当の来訪神が訪れたことがある。七年前の小正月の晩に訪れた来訪神は、泣きじゃくる少女の弟を戒めるでもなく、両親や祖父母に気にかけられることもなく、ただ静かに玄関に佇んでいた。
音もなく開く戸。風や火の音以外に何も聞こえなくなる感覚。七年経った今も、少女ははっきりと思い出すことができる。

不意に、家の外が騒がしくなってきた。村の男たちが扮した来訪神が訪れたのだろう。
がらがら、と戸が開けられる。異形の面を被り、藁蓑《わらみの》を纏い、手には刃を持った来訪神の訪れに、だがその姿に怯える子供は少女の家にはいない。少女の弟は本物の来訪神が現れた年の二月、春を待たずして流行り病で亡くなった。

「おめは、ほんっとに泣がね子だな」

どこか呆れを滲ませながら笑い、来訪神に扮した男は少女の頭を一撫でしてから去っていく。
少女は表情を変えず、微動だにしない。ぴん、と伸びた背を崩すことなく、男が去った後も玄関を見つめていた。
両親と祖父は、男について家を出た。この後、村の集会場で行われる祭りに参加するのだろう。その準備で祖母は昼過ぎから家を出ており家にはいない。
今この家にいるのは、少女だけだった。



ひょう、と風が鳴いた。ざ、ざ、と土を踏みしめ歩く音が近づいてくる。
僅かに目を細め、少女は玄関の戸が開くのを待った。やがて音もなく戸が開かれるのを見て、ゆっくりと立ち上がる。
入ってきたのは、先程の男のように異形の面を被り、藁蓑を纏った大柄な神だった。少女と向き合い、面越しに視線を交わす。
お互い何も語らず、聞こえるのは吹き込む風がかたんと戸を鳴らす音や火が爆ぜる音くらいなものだ。

「――削がれているな」

低くもなく高くもない声が、部屋に落ちた。吹き荒ぶ風に似ている声だった。

「削がれたわ。火班《ひがた》の代わりに削がれて、弟と共に連れていかれてしまった」

ぱちん、と囲炉裏で一際大きく火が爆ぜる音がした。

「だから行く。あなたと一緒に」

迷いのない声音だった。視線を逸らさない少女を暫し見つめ、来訪神は何も言わずに去っていく。
その後に、少女は続く。家を出て、山へと向かい歩いていく。
不思議なことに、来訪神が訪れる時には聞こえていた足音は今は少女のものだけだった。足跡すら残さず進む来訪神の姿に少女は僅かに目を細めるが、進む足取りに恐れはない。
村の集会所は、山の入り口とは正反対の方角にあった。それ故か少女を見咎める者は誰もいない。
遠く聞こえる祝いの音を背に、無言のまま少女は歩き続けていた。来訪神の後に続く少女の足跡が、家から山へと続いていく。

そして、来訪神と少女が山へと消えた後、厚い雲に覆われた空から雪が降り始めた。
しんしんと降る雪は一晩中村に降り積もり、辺りを白く染め上げていく。

そして小正月の祝いを終えた村の大人たちが家々に戻る頃。
少女の姿は村から忽然と消え、いくら探しても二度と見つかることはなかった。



それ以降、この村の小正月の晩には、来訪神に似た何かが現れるようになった。
異形の面を被り、藁蓑を纏ったその姿は来訪神のもの。だが、左目から頬にかけて大きくひび割れた面や、怠け者や泣く子を戒めるでもなく佇むその姿に、村の誰しもが眉を顰めた。

「あれはヒガタじゃねぇ」
「似ているが、違う。別のもんだ」
「おっかねぇ。泣ぐ子でねくて、泣かん子を攫っちまうモドキだ。浜吉の娘っ子も、そうだったんでねぇべか」

その何かが現れてから、次第に村は小正月に来訪神を拒みはじめ、小正月の祝いも行わなくなった。

そして月日は流れ。
風習は朽ち、今では村に残る僅かな住人が記憶に留めているだけとなった。





宮代燈里《みやしろあかり》がその来訪神について知ったのは、務める出版社に届いた一枚の手紙からだった。

「よくある怪談話の一つだ」

コーヒーを片手に、編集長である南方夏煉《みなかたかれん》は淡々と告げた。

「うちは民俗誌だというのに、相変わらずこういった類の話が紛れ込んでくる。気にするな、宮代」
「ですが……」

手紙に目を通しながら、燈里は眉を寄せる。
とある村に伝わるヒガタと呼ばれる来訪神。その神に似た何かが村人を攫って行く。
よくある話だ。元を真似た怪異が人に害をなす話はありふれており、特段珍しいものではない。
だがこのヒガタと呼ばれる来訪神が気にかかる。泣かぬ娘を連れていったという神。何故、娘を連れて行ったのか。何故、何も言わずに家の中に佇んでいたのか。
この手紙が、まったくの創作という可能性は大いにある。それでも燈里は気になって仕方がなかった。

「止めはしない。進めることもないがね」

そんな燈里を一瞥し、夏煉はコーヒーを煽る。追加のコーヒーを取りに席を立ちつつ燈里の頭を撫で、苦笑した。
仕事始めなのだから、あまり負担になるような仕事はさせたくはないというのが本心ではあった。ただでさえ昨年は色々なことに巻き込まれ、精神的な負担が強かったはずだ。
だが同時に、夏煉は燈里の望むことはできる限り叶えてやりたいとも思っていた。
そんな相反する思いをおくびにも出さず、夏煉は普段と変わらぬ淡々とした口調で告げる。

「小正月に現れる来訪神は、本来は春を告げ、五穀豊穣や豊漁をもたらす存在だ。肩の力を抜いて、旅行を楽しむくらいの余裕を持っていけばいい。どうせなら、婚約者と一緒に行ったらどうだ?そいつの旅費くらいは私が持とう」
「そ、そんな、申し訳ないです!」

頬を赤く染めながら、燈里は必死に首を振る。どこまでも真面目で控えめな部下に、夏煉は気にするなとばかりに肩を叩き、給湯室に向かいながら手を振った。

「私からのお年玉だと思えばいい。くれぐれも無理はせず、婚約者と楽しんでおいで」
「っ、ありがとうございます」

頬どころか耳まで赤くしながら、燈里は夏煉の背に頭を下げる。
恥ずかしさと申し訳なさで、落ち着かない。熱の引かない顔で視線を彷徨わせ、何気なく窓の外を見た。

「雪……」

厚い雲に覆われた、重たさを感じる空。
しんしんと、雪が降り始めていた。



20260106 『君と一緒に』

1/7/2026, 9:34:00 AM