『行かないで』2023.10.24
「行かないで」
他愛もないたったその一言を、こうも情念を込めて言えるのは自分の知る限り、彼だけだろう。
俺たちは五人組の演劇ユニットということもあり、スイッチプレイをよく行う。女性役も毎公演、誰かが演じている。自画自賛というわけではないが、皆の女性役のクオリティーは高いと思う。一番長身の彼の女性役も、その端正な顔でするからなかなか可愛らしい。
しかし、最年少の彼の女性役はとくにクオリティーは高い。
男性としては背は平均的、細身ながらよく筋トレをしている姿を見るので、身体付きはガッチリしているほう。声もやや低めだ。
そんな彼が女性役を演じると、これがなかなかどうして、色っぽいのだ。
元の役を演じながら、サブとして女性役を演じる。
その切り替えは大したものだと思うし、それが彼の表現力の高さなのだ。
「頼りにしてるわ。私のナイトさん」
おどけたようなセリフはチャーミングだ。そこに嫌味はなく、清楚さのなかにも少しの茶目っ気があり、可愛らしい一人の女性となる。
しかし、彼の真骨頂はやはり、重めの感情を抱いた女性役である。
立ち去ろうとする男の腕を引っ張って、ふっと息を詰める。男が振り返ってから、数秒溜めて、
「行かないで」
と未練がましく言う。
他の人なら寂しいという感情を乗せて発するそのセリフも、彼の手にかかれば、愛憎の入り混じるものとなるのだ。
10/24/2023, 11:37:53 AM