ただの白昼夢

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椿咲いてツバキ散る。

僕の名前は咲幸。1人の家族がいる。現在38歳だ。
10歳の年、暖かく心地良い風が吹き、花々が満開に咲いていた春の日。闘病中の母は持病により、人生の幕を閉じた。そして父は、最愛の妻を失ったショックに耐えきれず、妻が死んだその日に、自らに手に加え自分も妻の元へと旅立った。
たった1人の息子の僕を残して。
母さんと父さんの葬式中、僕の身元引き受け先について親戚たちは大騒ぎしていた。
僕は両親に置いてかれた無力感に苛まれた。抜け殻のような生き物となってしまった。そのせいで僕は「気持ち悪い、うちから出て行け」などと言われ、親戚中をたらい回しにされた挙句、結局児童養護施設へ送られた。当時12歳だった。
児童養護施設に来た日は、冷たい風が頬を切るようにして吹いていた。雪が足元を掬おうとしてくる。
それでも一生真冬でいいのにと思った。春なんて来なければいい—。

児童養護施設に入ってから、専門家による心のケアだとか色々されたけれど、僕は相も変わらず抜け殻状態だった。
そんな中、元気のいい1人の男の子に出会った。
男の子
「俺、ツバキ!花の”椿”って漢字でツバキ!お前は?」
咲幸
「……」
ツバキ
「なんだ、だんまりかよー。無視はあんまりじゃねえか?」
咲幸
「……」
ツバキ
「まあいいよ、話したくないなら話したくなるまで話しかけ続けるまでだからな!」
咲幸
「……」

特に相手にしていなかった。どうせすぐ飽きるだろうと。

でも—そいつは飽きるどころか毎日毎日僕に会いにきては、僕に相手にもされてなくとも、1人でペラペラとずっと喋る。1時間ほど経つと、気が済んだのだろうか、「じゃあまた明日な!」と太陽みたいな笑顔で僕に手を振って、走って帰って行く。
そんな彼に、僕は無意識のうちに心を開き始めていた。

ツバキ
「やっほー名前教えてくれない奴!今日も来たぞ!」
咲幸
「…こんにちは?」
ツバキ
「…!!!!やっっと話したくなったか!4ヶ月毎日顔合わせといて初めて声聞いたわ!」
咲幸
「しつこかったんだよ…」
ツバキ
「それが俺の長所でもあり短所でもある!」
咲幸
「…そう」
ツバキ
「じゃあ自己紹介しようぜ!前も言ったけど俺はツバキ!花の”椿”って書いてツバキだ!12歳!4月生まれ!!好きなもんはピアノで嫌いなもんはガラスだ!」
咲幸
「…僕はさゆき。咲く幸せで咲幸。僕も12。」
ツバキ
「咲幸。咲幸か!縁起のいい名前だな!」
咲幸
「…名前だけはね。」
ツバキ
「へぇー。」
咲幸
「ツバキって変わってるよね。僕みたいな奴によく飽きもせず声かけ続けるよね。」
ツバキ
「なーんかしんみりしたオーラ出す幽霊みたいな奴だからさあ。笑ってくれねえかなって思って話しかけてみた!」

太陽みたいな笑顔に太陽みたいな性格…。。
ここにくる子達は辛い想いをした子ばかりだと思っていたけど—。

咲幸
「ふーん……ねえ、ツバキは。。どうしてここにいるの?」
ツバキ
「聞いちゃう?」
咲幸
「ごめん。無神経だった。」
ツバキ
「いや、いいんだけどさ、しんみりしたりすんなよ。」
咲幸
「分かった…」
ツバキ
「俺の父ちゃんは今檻ん中。母ちゃんは精神病んで病院。
俺が小1に上がったくらいだったかなー。
父ちゃんが母ちゃんを殴るようになったんだよ。
父ちゃんを止めよう、母ちゃんを守ろう、とは思った。けど成人男性に抗えるほどの力が自分にないことを知ってる。
俺は妹を第一に守るべきだと判断した。あ、俺2つ下の妹が1人いんだ。
んでまぁ父親だとしても頭が狂った奴だ、下手に出たら俺まで殴られる可能性も充分有り得る。
だから俺は精々毎回散々に殴られ蹴られ倒れてる母ちゃんに手当てするぐらいしかできなかった。
一応致命傷は与えないようにはしてるらしくてさ、母ちゃんが父ちゃんの暴行から死にそうになることはなかった。
けど父ちゃんは必ず毎日母ちゃんを殴り続けた。
それから2〜3年間、そんなこんなな日常で、父ちゃんとは顔すらろくに合わせることもなかったけど、家事は全部しっかりやってくれてた。学校にも普通に通ってた。妹の小学校入学式の日には、新品のランドセルが部屋に置いてあって、中身には学校に必要なものが全部揃ってた。
当たり前だけど一方母ちゃんは、毎日殴られ精神病んでまともに日常生活ができないまでの状態になった。だから俺がずっと介護してた。
常に妹と一緒に行動した。
殴られてるところなんてのをまともに見てたら俺も妹も父ちゃんみたく頭が狂うって思ったから、母ちゃんが殴られ始めたらさっさか妹連れて公園で行って、数時間したら帰るってサイクルだった。
警察にさっさと行けばよかったんだけどなぁ
元の優しくて面白い父ちゃんに戻ってくれるって信じて疑いたくなかったんだよ。
そんで、ある日妹が母ちゃんを殴ってる父ちゃんの様を目の当たりにして“父ちゃん、もうやめてよ”って震えながら言ったんだよ。
俺はその状況に混乱してた。
なんで急にそんなことを?どういうつもりなんだ?なぜお前が単体で行動してんだ?父ちゃんはどうするつもりだ?
そんな中父ちゃんが、のっそりと妹に向かって近づいて行ったんだ。妹が危機に直面してやっと、警察にすぐに行かなかったことを後悔した。この事態がどういうものなのかやっと理解できたって感じだったな。
妹の腕を引っ張ってそのまま担いで全速力で家から飛び出して逃げた。すぐに警察に行った。
そのまま父ちゃんは逮捕、母ちゃんは病院へと搬送された。
俺たちに駆け寄ってきた、知らない親戚の人に”もう大丈夫だからね。安心していいよ。”って抱きしめられた。
妹は泣きじゃくり出してから抱き締め返して、”怖かった、すごく怖かった”って。多分こいつなら上手くやれる。親戚に引き取られた場所で。
んで俺は、俺は〜…。。
何も感じなかったんだ。ああ全て終わったとか、怖かったとかよかったとか、全く思うことなくて、ただただ無だったな。
それからその親戚の人が、俺ら2人を引き取るって言った。
でも俺、妹のためにも、俺のためにも、お互い離れて暮らした方がいいと思ったんだよ。どうしてかはうまく言葉にできないけど。
妹には今まで子供らしく居られなかった分、幸せになれるといいなと思った。父ちゃん母ちゃんのことも、俺のことも、全て無かったことにして、幸せになって欲しかった。
んでまあ結局俺は自分の意思でここ、児童養護施設に行かせてもらうことになった。
きっとこっちの方が俺にとっての幸せだ。
うん。これで全部だ!」
咲幸
「…ツバキって随分とオープンな性格だね。」
ツバキ
「まあ俺的には特に隠すようなもんでもないしな。それでも誰彼構わず言ってるってわけではないぞ!」
咲幸
「あーはいはい。分かってるよ。」
ツバキ
「んでお前は?まあ聞き逃げしてくれてもいいけど。」
咲幸
「そんなつもりはないよ。僕は…母さんが持病で死んだ日に父さんが自殺した。親戚宅に引き取られることになったんだけど、ツバキも見たような抜け殻みたいな僕をみんな気味悪がって追い出して他の宅に押し付けてを繰り返されて、たらい回しにされた挙句、ここに送られた。」
ツバキ
「ふーん。シンプルな解説だな。俺が喋りすぎなのか?」
咲幸
「…ふーんて、それだけかよ。」
ツバキ
「これ以上に何かあるか?これそもそもが難しい話題だし何とも言えねえってのが本音だ。」

僕はまともに人と話したのは2年ぶりだ。
それなのに思ったよりもスラスラと喋れたのはきっと、相手がツバキだったからだと思う。
ツバキの家庭の話を聞いた直後、平静を保ったような一言を放ったが、だいぶ戸惑っていた。それだけ壮絶な過去がありながらもそんなにも明るくあれるツバキが正直よく分からなかった。なんなら僕よりツバキの過去の方が辛いものかもしれない。それなのに抜け殻のようになった僕とは大違いだ。

咲幸
「………。」
ツバキ
「どした?」
咲幸
「ツバキに比べたら僕のことなんてちっぽけなものかもしれないなとか思って…それなのに僕の方が抜け殻みたいにだなんて…」

僕らしくない。思ったとしても「どうした?」なんて言われて素直に口に出すようなこと、僕はしない奴だ。
ツバキ…恐るべしだな。。

ツバキ
「人の苦痛は比べるものじゃないぞ。なんてったって測りきれるものじゃねえんだからさ。辛いことがあったから辛いって想うんだろ?咲幸が憎いだとか悲しいだとか負の感情抱いたんなら、理由はそれで充分だろ。」
咲幸
「…うん…」
ツバキ
「…何があったかよりも何を想ったかだろ。」
咲幸
「…それは違くない?」
ツバキ
「あ?なんだとコノヤロウ」
咲幸
「ははははw」

笑ったのはいつぶりだろうかな。

—数日後
ツバキ
「だぁから!!ガラスのコップは割れちまうかもしれないからだめなんだって!」
咲幸
「いやプラスチックのコップは幼児用しかないから。」
ツバキ
「俺は幼児用コップ使うから咲幸は俺の分の飲み物まで持ってこなくていい」
咲幸
「何でそんなにガラスを警戒してるんだよ。いつも割れるなら、それはお前のモノの扱いが雑なだけなんじゃないのか?」
ツバキ
「違うしそんなことねえって!!窓ガラスを割った小3の時の担任の、元々ヤバい顔してんのにも関わらず、過去一怖かったあの時の顔を思い出しちまうんだよなあ。…冷や汗止まんねー」
咲幸
「なんだ、それトラウマじゃん。ツバキがトラウマになるような顔ってどんな顔なんだろう。」
ツバキ
「想像もつかない顔だよ。見たらきっと後悔するぞ。あれはもはや人間の顔じゃ無かった…」
咲幸
「それはもう人間じゃなかったんじゃない?なにか別の…」
ツバキ
「おいやめろよ!!俺が心霊系無理なの知っててやってるだろ!!」
咲幸
「あバレた?笑」
ツバキ
「咲幸ィーーー!!!逃げんなあああ!!」

—数週間後
咲幸
「ツバキにピアノって意外だよね」
ツバキ
「何が言いたいんだよ。弾けることが?好きなことが?」
咲幸
「どっちも。どちらかというとサッカーとかの方が好きそうな感じ。」
ツバキ
「完全偏見じゃねえか。意外とか言うなら俺の演奏お手並み拝見してみるか?」
咲幸
「望むところだよ」

ツバキはピアノ椅子に座り、そっと鍵盤に触れた。軽く、力強い音が一つ、響き渡った。と思ったら、
重く痺れる音を響かせ、異なる音を組み合わせて一つの音になっている。確かにそう聴こえるが、それぞれの音も聞こえてくる。きめ細やかな音を刻みながら、それぞれの音を際立たせる。
かと思ったら次は際立たせるのではなく異なる音がまるで元々一つで連なっているかのように滑らかに、軽やかでありつつ芯が重く質の良い音が鳴り響く。
音程も何もかもが完璧で、胸が高鳴り目が輝きながらも、とても心地よかった。
なんだこれ…見える…ピアノの演奏に合わせ、この日のために猛練習したダンスを気高く、会場の皆が同じ足音をならし踊っている貴族達が、煌びやかでありつつ気品のある装飾に包まれた城内が、見える。
ツバキの指ってこんなに細長かったんだな。
一本一本の指が自我があるかのように鍵盤の上を踊る。一本の指が1人のバレリーナみたいだ。
僕も鍵盤を押し、音を出してみたが、ツバキのようにはならなかった。
想像以上だった。いや、そんなものじゃない。ツバキには確実に才能がある。

—数ヶ月後
ツバキ
「おい言ったなお前!!」
咲幸
「あはははw」
幼児1
「おいツバキー!!おれとトラックで遊んでええー!」
ツバキ
「おーおー分かったから服引っ張っるな。あと顔擦り付けんな。ハナタレ小僧め、鼻水が付くのは御免だぞ。ほらちーん」
幼児1
「ちーん!」
ツバキ
「よくできましたー」
幼児2
「ねえねえツバキ!お父さん役やってえー」
ツバキ
「ほいほい順番こなー」

ツバキは割と面倒見が良く、人からも好かれやすい。ヤンチャながらも良し悪しの分別はしっかりとできる、周りからの人望も厚く、人懐っこい奴だ。


ツバキと僕は四六時中、毎日一緒に居た。ツバキはあまりにもうるさいから、一緒に居るとどうしてもツバキに気が行って、他のこと。…両親のことを、考える時間が無かった。
今思えばそんなツバキにとても救われていたなと思う。


—n年後
咲幸
「なあツバキ。俺らもう大学合格したし…それより成人するだろ。ツバキはこれからどうするつもり?」
ツバキ
「おう。なんだ?俺がここから出て行くと思うと寂しくなったのか?」
咲幸
「黙れ笑」
ツバキ
「そうだなー実は結構考えててさ、大学からも遠くないし、その他もいい条件のアパート見つけててな。」

だよな。ツバキのことならそうだろうと思った。何年もずっと一緒に過ごしてきた俺たちにもこういう時は来るよな…

咲幸
「ツバキ、あのさ。」
ツバキ
「なんだー?」
咲幸
「僕来週でここから出てくよ。」
ツバキ
「えっ?急だな。」
咲幸
「実は僕、もう亡くなってるおばあちゃんなんだけど、自分が過ごしてた思い出の家を僕にあげたいとのことで権利書をもらってたんだ。」
ツバキ
「そうだったのか…すげえいいじゃん!一軒家かよ、かっけえじゃん。」
咲幸
「どうも。それでなんだけど、ツバキさえよかったら、そこで僕と一緒に暮らさない?」
ツバキ
「本気か?お前はほんとに寂しがり屋だな…まあ俺今すげえテンション上がってるんだけどな!!ははは!そう言ってもらえるんなら喜んで住まわせてもらうぞ!」
咲幸
「ツバキならそう言うと思ったよ。家賃は無くとも家事は分担だからな。」
ツバキ
「あったぼうよー!」
咲幸
「…それと言っておくと、、上質なピアノもある」
ツバキ
「…!?すっげえ心躍ってキタァ!!!」

—一週間後:元おばあちゃん家の庭にて。
ツバキ
「うおっ、縁側ある!というか家自体もでかいけど庭もデカッ!?立派な桜の木もあんじゃん!?花きれーだなあ。春最高だな!」
咲幸
「この際言うと実は僕春嫌いなんだよね。」
ツバキ
「なんだよ、俺の生まれた季節なのに!咲幸って花粉症あったっけ?」
咲幸
「いや、母さんと父さんが死んだ日もこんな日だった。両親を1日にして失った。それでも世界はそんなの関係なく花々を咲き誇らせて今日も今日としてただ終わろうとしてる。嫌な現実突きつけられてるみたいだろ。」
ツバキ
「ふーん?現実突きつけてるんじゃなくて慰めてくれてんだよ。今日は自立した俺たちを祝福してくれてるんだろ。」
咲幸
「なっ、そんな無理くりな」
ツバキ
「いいんだよそれで。全てを咲幸のもんにしちまえ。”俺ら”のもんにしてくれてもいいけど?」
咲幸
「ツバキ、ちゃっかりしちゃってんなお前って奴はほんとにいつも…笑」

—n年後:今
ツバキ
「おい見ろよ!花買って来たんだよ!」
咲幸
「あんま無茶して出歩くなよ」
ツバキ
「分かってらー」
咲幸
「って、げっ!黒色の花?」
ツバキ
「綺麗だろーこれ椿の花なんだぞ」
咲幸
「…俺様だァ⭐︎って顔に書いてあるぞ。」
ツバキ
「ははははw黒い椿の花言葉は気取らない優雅さだってよ!俺にピッタリだろ!」
咲幸
「バカ言えw」
ツバキ
「なんだとコノヤロウ。咲幸からのお供えの花はこれにしてくれよな。」
咲幸
「了解。」

椿は32歳の時難病を患った。治療法は存在しない。死を待つしかできない。幸いなことにと言うべきか、特にどこかが痛むわけでも不自由になることもなく、この難病を患ってからは、5〜10年ほどで突如として眠るようにして寿命が尽きるというものだ。ツバキはもう末期だ。

ツバキ
「世界に名を残した天才ピアニストの人生もここまでかあー」
咲幸
「天才は早死にするもんなんだよ。潔く運命を受け入れろ。」
ツバキ
「おいおい照れるじゃねえか!珍しく褒めてくれんじゃん。そんな咲幸くんには特別に、そんな天才ピアニストの演奏をご清聴いただこうではないか。」
咲幸
「そりゃ光栄だ、世界の天才ピアニストの椿さん。」
ツバキ
「あったぼうよー!」

初めてツバキのピアノを聴いたあの日と全く同じだ。

懐かしい。
—ああ優雅だ。





ツバキ
「ご静聴ありがとうございました!」
咲幸
「こちらこそ。」
ツバキ
「なんだ咲幸ィw泣いてんのかよ!……自分の死を泣いてくれる人がいるのはシンプルにすげえことだし、心の友と生涯一緒にいられたのは嬉しいなあ。ま、婚期は逃したが笑」
咲幸
「僕の生涯も一緒にいろよ…」
ツバキ
「おう。ご希望であれば取り憑いてやらあw」

2人は涙を流し、背中をバシバシと叩き合いながら、最期の熱いハグをした。

ツバキ
「椿の花瓶はプラスチック製のを使ってくれよな。」
咲幸
「見栄えが悪いだろ。」
ツバキ
「ええっ〜…………心の友よ。首を長〜〜〜〜〜くして上で待っててやるから、精々長生きしやがれよ。」
咲幸
「当たり前だ。次にツバキに会う時には、お前はろくろっ首になってるだろうな。」
ツバキ
「なんか怖いからやめろよな…」
咲幸
「言い出したのはツバキだろうがw」
ツバキ
「…今までほんっっっとうにありがとう!じゃあまたな、兄弟。」
咲幸
「ああ。僕も、本当にありがとう。またな。親愛なる我が兄弟。」
ツバキ
「…………——————。」

ああ、少し前までの僕は、あんなにうるさいツバキがこんなに静かになる時が来るなんて思いもしなかっただろうな。そしてこんなに冷たくなるなんて…—。

ありがとう。ありがとうツバキ。

やはり春は僕から全てを奪って行く。そのくせ綺麗に花々を咲き誇らせ非情な現実を突きつけてくる。
ツバキをこの世に咲かせたのも、奪ったのも、春、お前か。
まあでも、僕の心で咲き誇るツバキは、慰めてくれてんだよとかなんとか言ってるから、そう思って僕らのものにしておこう。

インテリア担当と料理担当じゃないツバキ、いや、キッチン出禁のツバキは知らなかったかもしれないが、うちにはプラスチック製のものしかないんだ。安心しろよな。

咲幸
「…でもやっぱりプラスチック製の花瓶は見栄え悪いって。」


ツバキが買ってきた一輪の椿。漆黒だ。けれど、窓からの強い日差しに当たり、溌剌とした輝きをしている。笑っているような気がする。ある意味ツバキとそっくりかもな笑

“黒い椿の花言葉は気取らない優雅さだってよ!俺にピッタリだろ!”
優雅か…ははっw
一見優雅とはかけ離れた奴に見えるが、ツバキはどんな誰よりも優雅な奴だよ。はは笑…

咲幸
「…椿って意外と可愛い花だったんだな。—こんなに柔らかで繊細な花とは思わなかったよ。」

ツバキの顔を見る。

—散ってなんかいなかった。ツバキの顔には、いつもの太陽みたいな笑顔はなかったが、ツバキらしくなく、穏やかで、ツバキらしく、満足気で強気な笑顔だった。

春、つばきを咲かせてくれて、ありがとう。


椿咲いてツバキ笑った。


【花咲いて】

7/24/2024, 11:48:35 AM