今日は、丸一日このカフェに居座っていた。普段なら迷惑だとか世間体だとかを気にして、こんなことはしないが。今日だけはダメだった。今日は平日だから、とか、他の客も居ないから、とか色々と罪悪感に言い訳を並べ立てて誤魔化す。
振られた。アイツは優しいから、直接的には断られなかったが。泳ぐ目線が、少し強張った笑顔が、距離感を測るような態度が、もう全て物語っていた。元より付き合えるなどと思ってはいなかったが、それでもやっぱり失恋は辛かった。一度言ってしまった以上、もう友達にも戻れないだろう。
そもそも、最初から叶うはずのない恋だった。アイツは誰にでも優しくて、顔だって格好良くて。俺なんかじゃ絶対釣り合わない。
そんなことを考えている間に、コーヒーはすっかり冷めきってしまった。冷たくなった7杯目のコーヒーを一気に飲み干したところで、カフェのドアベルの音がした。客が来たのだろうが、そんなの気にしている余裕も無かった。空いたコーヒーカップをぼんやり見つめながら俯いていると、突然肩を掴まれた。
さすがに顔を上げると、よく見慣れた、今は一番見たくなかった顔だった。何故か息は荒くて、散々走り回った後みたいだ。気まずくて、顔を背ける。顔を見てしまったら、また全てが伝わってきてしまいそうで怖かった。
「はぁっ……やっと見つけたぁ……」
彼は、肩に縋り付いたまま、力が抜けたようにへたり込んだ。肩を掴んでいた手が背中に回されて、ぎゅっと強く抱きしめられる。
ぐちゃぐちゃだった思考が真っ白に塗り潰されて、何も考えられなくなった。抱きしめられている、誰に?振られたはずの彼に。なぜ、どうして、と取り留めも無い考えの濁流が遅れてやってきて、動けなかった。
「……昨日の、アレ……」
反射的に目をぎゅっと瞑った。馬鹿真面目なコイツは、わざわざ言葉で振りに来たのか。でも、それならこの体勢は?またぐるぐる考えていると、蚊の鳴くような声でまた話しだした。
「……昨日は急だったから、頭真っ白になっちゃって……それで、あんな態度取っちゃって……えっと、だから……」
普段、言いたいことはきっぱり言うタイプのコイツが珍しく口籠っている。それが不自然に思えて、恐る恐る目を開けた。
瞬間、目に映ったのは、自分を抱きしめている彼の、真っ赤になった耳だった。
頼んでいた8杯目のコーヒーが提供される。囁かれた言葉に見開いた目には、マスターの祝福するような生温い笑顔が映っていた。
きっともう、冷めきったコーヒーを一人で飲むことは無い。温かいコーヒーを、温かいまま二人で飲みながら、昨日までより少しだけ近付いた距離に心臓を弾ませていた。
テーマ:コーヒーが冷めないうちに
9/27/2025, 2:54:23 AM