池上さゆり

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 いい加減、現実を見るようにしようと気づけた三十を過ぎてからだった。それに気づくまで長い時間がかかった。自分でも、今思えば恥ずかしくなる。
 私は幼い頃からないものねだりをするのが癖のようなものだった。常に人を羨んでは、嫉妬して、悔しくなって泣いていた。どうしてあの子にはあって私にはないの、と。
 それは持ち物や兄弟、家族に限らず、才能にまで及んでいた。よく言えば負けず嫌いだったのかもしれない。悪く言えば、ないものねだりばかりするわがままな娘だ。
 だから周りの人にも嫌われていたし、仲の良い友達なんて一人もいなかった。
 だが、現実を見るようになってから気持ちが楽になった点がいくつもある。誰かを羨むことがなくなったおかげで、私は私を認められるようになった。自分のない才能に憧れるのをやめたおかげで、自分にできることを探せるようになった。そのおかげで私には文才があることを知った。それを機に、私は編集者に転職してライターとして仕事を始めた。
 そうすると、見事その仕事が肌に合っていたのか、みるみる成果をあげていった。今まで人を妬んでばかりいた時間が本当に無駄に思えた瞬間だった。
 それから昇進はしたものの、ライター一本で仕事がしたいを奮起してフリーライターとして、新たな一歩を踏み出した。
 それから数年して、エッセイの仕事もらった。私はなにを書こうかと悩んでいた。せっかくだから、この仕事を始めた経緯でも書こうか。そう思って人生を振り返ると、全てが変わったのはないものねだりをしなくなってからだと気づいた。だから。タイトルにはこう書いた。
「ないものはない」

3/27/2024, 8:08:22 AM