ベランダの冊子付近を陣取って、彼女はのんびりと窓から外を眺めていた。
今日はなにを見ているのか。
とぽとぽと自分用のコーヒーを入れながら、彼女を横目にした。
……ちゃんとつけてる。
すらりと伸びた左手の細い薬指に、小さな愛の証がまったりとした日差しを浴びているのを、つい確認してしまった。
サイズは違えど、俺の手にも同じデザインのリングがはめられている。
結婚してしばらくがたち、さりげなく変わっていく結婚生活にも少しずつ慣れてきた。
そのなかで、彼女の小さな指輪は毎日、当たり前のように薬指で光っている。
アスリートである彼女はつけ外しの必要なアクセサリー類に対して、煩わしさを抱いていた。
身内から用意されたイヤリングやネックレスも普段は着用すら嫌う。
そんな彼女が誰に促されるわけでもなく、毎日欠かさず朝晩と指輪を身につけていた。
しかも、体育館で元気に駆け回っているときは外しているのにもかかわらず、である。
生真面目な彼女のことだ。
例え着け心地が悪くても、結婚指輪に対して不満を漏らすことは絶対にあり得ない。
彼女にはできるだけストレスフリーでいてほしかった。
指輪に違和感を持っていた場合、一年という結婚期間がいい機会になると、よかれと思って提案する。
「結婚指輪、買い直しませんか?」
「えっ!?」
ベランダ窓の冊子近くで日向ぼっこをしていた彼女が、ひどく驚いた様子で振り返った。
「な、なんで?」
ローテーブルの上にコーヒーを置いた俺のそばまで、彼女は慌てて寄ってくる。
戸惑いを隠さない彼女をソファに座るよう促して、俺も隣に腰を下ろした。
「なんでって……」
答えはひとつしかない。
彼女からのプロポーズ直後、結婚指輪を決めるとき。
カタログに載っていた指輪に指を差し「これ『で』いい」とうわの空で溢した彼女の言葉を鵜呑みにしたからだ。
きっと今なら彼女の本音と向き合って、着け心地もデザインもこだわった、彼女好みの指輪を選べる。
……そう、思っての提案だった。
しかし、今、彼女は悲し気に眉毛をハの字に下げて肩を落とす。
「イヤ。これがいい」
「でも、着け心地とかデザインとか、あなたの好みとは違いませんが、少しズレていませんか?」
「いいの」
怒りを含ませた口調で彼女はハッキリと拒否を示した。
勢いよかったのはそのひと言のみで、彼女の態度はしおしおと萎んでいく。
「後悔してない。ちゃんと大事にするから……」
だから買い直しなんて必要ない。
縋るように彼女は俺に訴えてきた。
俺だって、わざわざ彼女を泣かせてまで指輪を買い直したいわけではない。
「ねえ」
俯いてしまった彼女に声をかけるが、首を横に振るばかりだった。
「……ヤダ」
「うん。ごめん。俺が無神経でした」
本格的にいじけてしまった彼女に、愛おしさすら抱く。
原因は俺だというのに、愛されていることを実感して緩んでいく口元を抑えられなかった。
「だから、結婚一周年記念と称して新しい指輪を一緒に選びませんか?」
彼女の気持ちはわかったが、俺としてもどうしても彼女自身がこだわってくれたデザインの指輪を贈りたい。
ワガママにすり替わった気持ちを要求すると、彼女の薄い桜色の唇がわなわなと震えた。
「……でも……」
結婚指輪に触れてためらいを見せる彼女。
その小さな両手を静かに包み込んだ。
「結婚指輪は外さなくていいです」
「え?」
やっと顔を上げてくれた彼女に心の底からホッとする。
大きな瞳をさらに丸々とさせるその目元に指で触れた。
「時々でいいんです。少しオシャレして出かけるとき、一緒にはめてくれたりしてくれればそれで……」
「本当に、外さなくていいの?」
「はい。大丈夫です」
「普段はずっとこの指輪だよ?」
彼女がどちらを選ぼうと、俺が贈った指輪に変わりはなかった。
毎日つけてくれるなら、選ばれる頻度など些末なことにすぎない。
「はい。俺も一生この指輪を大切にします」
訝しむ彼女にしっかりと答えて、懇願する。
「だから、お願いできませんか?」
目線を合わせれば彼女はおずおずとうなずいてくれた。
「……それなら、わかった。いいよ」
「ありがとうございます」
肩の力を抜いて微笑んだ彼女をたまらず抱きしめる。
小さな愛の証は、彼女の左薬指でより一層光り輝いた。
『tiny love』
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2025/07/15のお題『二人だけの。』の少し前のお話です。
既視感あったらすみません。
好きなのでこういうネタは何度でも擦りたい人です。
なんならこのふたりで「告白」「プロポーズ」「初夜」はなんパターンでも書きたいです✨
親バカですみません😅
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10/30/2025, 2:18:36 AM