[お題:突然の別れ]
[タイトル:ニョルニョン]
どうやら本当にニョルニョンは居なくなってしまったらしい。
どうして突然! もう五年も一緒に居たのに!
二時間かけてひっくり返した部屋の中で、千堂由梨は心の中で悪態をついた。確かに、思い返せばここ二、三日姿を見なかったのだが、まさか本当に居なくなっているとは思わなかった。
ここ数日の飲み会で頭がやられていたのだ。ニョルニョンのことに全く気が回っていなかった。そういえばニョルニョンにご飯あげてないなと、ようやく気づいたのが今朝のことである。
そこから二時間かけてニョルニョンを探した。必死だった。何十冊もの本を床に落とすと、ページの幾つかが折れた。布団を別の場所に移動させて下を確認し、しばらくしてまた移動させて下を確認した。冷蔵庫の中では缶ビールが生温くなっている。台所には輪切りのちくわが転がるばかり。箪笥の衣類は全て机の上だ。果たして、どこにもニョルニョンはいない。
不注意な自分が恨めしい。由梨の中にある喪失感は、次第に自身への怒りに変わっていた。
どうして二日前に家に帰らなかった? どうして昨日すぐに寝てしまった? どうして今さら気づいた? 全ては過去のことだ。進み続ける時間の矢は後ろには返らない。なので、必然仕事の時間もすぐそこに迫っている。
「あーもう、メイク・・・・・・服も、アイロンかけなきゃ」
と、そこまで喋って、自分が声を出していることに由梨はようやく気がついた。行動をいちいち口にする人はほとんどいない。特に部屋に一人きりであれば尚更だ。
明らかに普段じゃない。由梨の心はドーナツのように、あるいはコーヒーカップのように穴が空いていた。ちょうどニョルニョンがすっぽりとハマりそうな穴である。
それでも仕事は休めない。仕事を休めるかどうかはニョルニョンがいるかいないかではなく、カレンダーが土日祝日であるかである。
二十分ほどで身支度を済ませた。適当に済ませたメイクでは、いつもより血色が悪い。同僚からイジられそうで憂鬱だ。穴の空いた心には憂鬱がよく沁みる。
外に出るとふざけたような朝日が照っていた。馬鹿にしてんのか、と言いたくなるが、口には出さない。同じ失敗はしない。代わりに朝ごはんを食べていないお腹がグゥと鳴った。
途中でコンビニに寄ろう。確か地下鉄の近くにあったはずだ。
コンビニ、そう、コンビニだ。
ニョルニョンを拾ったのもコンビニだった。けれど地下鉄近くではなく、むしろ駅と真逆に一時間ほど歩かなければならない、病院内のコンビニである。
そんなことをつい思い出してしまう。これはミスだ。穴の空いた心じゃ理性がすり抜けてしまう。
果たして、由梨は地下鉄に背を向けた。もしかしたらと由梨は思う。もしかしたら、あのコンビニにニョルニョンはいるんじゃないか。
けれど、ニョルニョンはそこにいない。本当は由梨も知っているのだ。けれど、それを思い出すことを、由梨の心が許さない。
ニョルニョンとはドーナツであり、コーヒーカップであり、ちくわなのだ。
けれど由梨は気づかない。まずは牛を球と見れなくては。さもなくばニョルニョンはニョルニョンのままである。
5/19/2023, 5:41:35 PM