一匹の大きな龍が横たわっている。
彼はたった一匹の、運命の番を求めて世界中を旅していた。その大きな体を、悠久の時を生きる精神を、人智を超えた力を受け止め、共に生きてくれるたった一匹を探していた。
ある国では神と崇められ、ある土地では厄災と恐れられた。人々が彼にまつわる物語を一つ完成させると、彼はまた別の場所へと旅立っていった。
まだ番は見つからない。
どれだけの年月が過ぎたか、数えるのも馬鹿らしくなってきた頃、彼は一人の人間に出会った。
長く生きることに疲れ果てた彼を、その人間は恐れもしなければことさら崇めたりもせず、ただその疲れを癒すように優しく触れた。
龍に与えるには少なすぎる食事。何年かかるか分からない鱗の掃除。人間はそうすれば彼は心地よいだろうと考え得る全てのことを自分から率先してやった。
山にたった一人で暮らしていた人間は、同じ人間に村を追われていた。不思議な力があったからだ。だがその人間は村人に恨み言を言うこともなく、一人は気楽でいいと龍に向かって笑った。
龍は、自分の番になる者は同じ龍の姿をしていると思っていた。だがそうではないのかも知れないと思う時が徐々に増えてきた。
鱗が波打つ大きな体に背を預けて眠る人間は、彼の心に大きな変化をもたらしていた。
悲劇は突然起こる。
龍と暮らす人間に恐れをなした村人が、龍の目を盗んで人間に毒を飲ませたのだ。
龍は怒り狂い、村を襲った。口から冷気を吐き出して一つの村をまるごと氷に閉じ込めた。
だが長く生きた龍はそこで力尽きてしまう。
彼は人間の元へ戻ると既に息をしていないその体を自分の体に巻き込んで、ゆっくりと横たわる。
毒を飲まされ、苦しんだ筈のその人間の顔は、不思議と穏やかだった。
「疲れたな·····」
龍は一言そう言って、ゆっくりと目を閉じる。
「そうだね」と、人間も言ったような気がした。
龍は最後の力を振り絞り、自分の体を氷へと変えていく。抱き込んだ人間の体ごと。
やがて大きな大きな氷の塊になった一人と一匹は山の中腹で美しく輝く氷湖となった。
「まるで大きな鏡みたいだね」
何百年も経ったある日、空から氷湖を見下ろしてそう言った者がいた。
永遠に溶けないその氷の中に一人の人間がいることを、知る者はもういない。
END
「凍てつく鏡」
12/27/2025, 4:23:01 PM