猫を拾った。
最初は拾うつもりなんてなかった。
民家は私の家以外にもいくらでもあったのに、どういうわけか毎日私の家の玄関に来て鳴いて仕方ないから飼うことにした。
その野良の虎柄の子猫は、身体がずいぶん小さかったから、チビと名付けた。そのまますぎる。名前をあれこれ考えてやるほど、私は動物に愛着を持っていないのだから仕方ない。しかしながら、チビが、初めて食べた缶詰め餌に感動して出した、みゃうみゃう!という、か弱い身体から出た力強い声がとても印象的で、私はこれをずっと覚えているだろうと、何となく思った。
栄養状態が良くなると、みるみる身体は大きくなった。嗄れていた声も、高く愛らしいものへと変わった。けれど、生まれ持った鋭い目つきと、短く不格好に曲がったしっぽだけは変わらなかった。
古い友人から、なかなか猫が懐かないという話を聞いたことがあって、そういった懸念もあったのだが、初日からチビは私を微塵も恐れることもなく、普通に過ごしていた。2週間も経過すると、餌が気に入らないと私に鋭い眼差しをくれて抗議するようになった。何たる図々しさ…いや、素晴らしい適応能力であろう。
けれど私は、それが嫌いではなかった。だらしないのも、図々しいのも、文句を垂れるのも、人間だったらまったく好ましいと思わないが、猫であるというだけで、すべてが許される気がした。寧ろ、好ましくさえ思う。こんな短期間で、私はすっかり猫に魅了されてしまった。
それから数ヶ月、数年と過ぎ、チビが隣にいるのが当たり前になっていたある日のこと。チビに病が見つかった。治療の甲斐虚しく、みるみる弱っていくチビを見ているのが辛かった。餌をひとりで食べられなくなって、私が匙で少しずつ食べさせた。それも受け付けなくなったら、チビが好んでいた猫用のミルクを少しずつ飲ませ、次には水も少しずつ与え、しかしついに何も受け付けなくなり、私にはしてやれることがなくなった。ただ、傍にいて声をかけ撫でてやることしか出来ない自分が、ひどく無力で情けなかった。
出会って15年ほど過ぎたある朝、チビは目を開けなかった。
毎日泣いて過ごしていたが、私は存外薄情で、数日もすれば飯を喉に通せたし、会社にも行けた。胸の内にブラックホールでも出来てしまったかのような虚無感から逃れるため、仕事に打ち込むしかなかったのかもしれない。
数日、数週間、数ヶ月、数年。時間の経過と共に、悲しみは色褪せていく。忙しくなり、スマホの中のチビを見る機会も減ってきた頃、私は庭で思いがけないものを見つけた。植え込みからちょこっと出ている不格好に曲がった短い虎柄のしっぽ。
「チビ!!」
思わず叫んでいた。もうしばらく呼んでいなかった相棒の名前を。
驚いて植え込みから飛び出してきたのは、チビと同じ虎柄の不格好な尾を持つ猫だった。その猫は逃げ出そうとしたが、私を見て、はたと止まる。
「チビ?」
そんなはずはないのに話しかけていた。トラ猫は私をじっと見つめ首を傾げた。その時しっかりと目が合って、トラ猫についた両眼が丸く穏やかなものであることで、私はようやく猫違いを認めた。途端に、あの、私に文句がある時の、あの鋭い眼差しが、恋しくて堪らなくなった。
突然泣き出した私を訝しみながらも、トラ猫はゆっくりと庭を去っていく。けれど、チラリチラリと、何歩か進むごとに私の方を振り返っていた。
猫には九つの命がある。そんな外国のことわざを知った。九度生まれ変わった猫の物語を近頃読んだ。ファンタジーだが、それがもしも、誰も知らない世界の真実なら、あれから連日私の庭に遊びに来るトラ猫は、もしかしたらチビなのではないかと思う。天国で生まれ変わる時に、目付きの悪さをどうにかしてくれと神様に頼んだのかもしれない。次私に会った時、睨まないでやりたいから、なんて。
10/16/2024, 5:26:29 AM