伸ばした手を包んでくれた貴方の掌が、ここにある何よりも暖かい。こんな不快な季節に、火に油を注ぐはずの体温がとても心地よくて、早くこのまま眠らせてほしかった。
怒鳴るような蝉の聲と、陰湿な湿気を含んだ森、叩き起こすように震えるスマートフォンが、私に早く戻って来いと引き戻そうとしている。
でももう振り返りたくない。できない。させて欲しくない。頭の中を掻き乱す事実と正論を焼き払う為に、只管に指先に纏う熱だけを考えた。
貴方は前だけを見ている。背を向けている。震える手を確かに掴みながら、絶対に離れぬよう力を込めながら、私を逃すまいとしているはずだった。貴方は今何を考えている?どこを見て、何を思っている?蝉の怒鳴り声も、森の陰口も、暴力的な通知も、貴方の耳にはどう届いているんだろうか?
紅くて、眩しくて、横暴な太陽から身を隠すように扉の奥へ潜り込んだ。ここには貴方と私しか存在を許されない、小さな破綻した生態系を孕んだ世界。
ここには怒鳴る声も陰口も暴力も何もない。貴方が与えてくれる愛情と静寂だけの世界。
日差しに焼かれるよりも早く身を焦がそうとした。
身体から霧散していく赤く光る灰が、蛍のように空を漂った。そんな気がした。
私を叩き起こそうと必死でいた着信音も諦めたようだった。いや、何処かに逃げたか、置いてきたのかもしれない。
しかし今となってはもうそれも大した話では無い。
お題:愛と平和
3/11/2026, 6:31:17 AM