【眠りにつく前に】
ベッドサイドのスピーカーを操作し、いつもの音楽を再生する。僕たちが生まれるよりも前に流行したらしい、古い女性シンガーの歌う切ないラブソング。君と二人、波の音の響く海辺の洞窟で身を寄せ合った夜、ラジオから流れていた曲だ。
足を踏み外せばどこまでも落ちていきそうな深い暗闇そのもののような漆黒の大海と、白銀の星がチラチラと瞬く馬鹿みたいに広い夜空を眺めながら、ふたりぼっち互いの温もりを確かめ合った。あの頃の僕たちにとっては、互いの存在だけがこの寂しい世界で生きるよすがだった。
薄氷の上を渡っていくような幼い日々。あの頃から比べると僕たちはずいぶんと大人になった。互いに互いの世界で、真っ当な社会人の仮面をかぶって生きていける程度には。
それでも時折、君の温もりを思い出したくなる。眠りにつく前にこの曲を流して、君と共にいたあの薄暗い日々をなぞりながらベッドに寝転がる。夢の中であの日の君の微笑みに会えるように。
「ばーか。素直に呼べば良いのに」
遠くなる意識の片隅で、くしゃりと髪を撫でる手の温度を感じたような気がした。
11/3/2023, 2:22:47 AM