結城斗永

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※2025.9.15投稿『センチメンタル・ジャーニー』の続きです。
【前回のあらすじ】
 失踪した父を探すため、僕は場末のスナックを訪れた。
 そこで初めて知る『見たことのない父の姿』。
 ママさんとの不思議で歪な父親探しの旅が始まる。
 
――――――――――――――――
 ママさんの家に一泊した僕は、翌朝彼女の運転する軽自動車の助手席にいた。
 たばことアルコールと、強い芳香剤のにおいが充満する車内では、効きの悪いエアコンが居心地の悪さを溜め込んでいた。
 ママさんはわずかに開けた窓の外にたばこの灰を落とし、口の端から煙を漏らすと沈黙を破るように口を開く。
「あんたのお父ちゃん、孝雄が店に来る日は、わざわざ隣に座り直してまで愚痴をこぼしに行ってたんだよ」
 僕たちが目指していたのは、店で父と親しく話していたという『孝雄』のアパートだった。
「父が愚痴を言ってるのが想像できない」
 僕が漏らすと、ママさんは「そりゃ父親だからね……」と呟いた。
 その言葉をうまく飲み込めないまま、車は住宅街にある二階建ての古びたアパートの前で停まった。

 錆びついた鉄骨の階段を上がり、雑多に物が置かれた廊下の先でチャイムを鳴らす。内側からガサガサと蠢く音がした後、訝し気にドアが開く。
 ドアの隙間から顔を出したのは、酒の匂いをまとった白髪交じりの男だった。
「……ご無沙汰。突然悪いね」
「何だ、ママか」
 孝雄は僕の方を一瞥し、ママさんに視線を戻す。
「あぁ、茂さんの息子……」
 ママさんの言葉に一瞬、空気が止まった。孝雄は僕を値踏みするように見て、ため息をついた。
「茂の……。まぁ、入りな」
 孝雄は苦笑しながら、部屋の奥を顎で示した。

 ゴミ袋が直に置かれた廊下を進み、シミだらけの畳に抜ける。汗と黴が混じったようなツンとした刺激臭が鼻を突く。孝雄は近くにあった座布団の埃を申し訳程度に落とし、僕たちに差し出す。
「茂はよく言ってたよ。『家族が店での自分の姿を見たらどう思うか』ってね。あんたを見て、その意味が何となく分かったよ。家族の前じゃ、さぞかし立派な父親だったんだろうな」
 その言葉に、胸の奥がスンと冷たくなる。

「孝雄さん。父がどこにいるか知りませんか」
 僕が唐突に尋ねると、孝雄はバツが悪そうに煙草を咥える。ポケットを探す孝雄にすかさずママさんがライターを差し出す。
「さぁな。あの女の店じゃないか。確か港町の方とか言ってたが」
「お店の名前は分かる?」
 ママさんが問いかけるが、孝雄はたばこの煙と一緒に言葉を吐き捨てる。
「さぁな。けど、女のことは『メグミ』って呼んでた」

 ふと部屋の奥に置かれた女性物の化粧ポーチに目がいった。この部屋に似合わない派手な花柄。
「あれは……」
 僕がそういうのと同時に孝雄が「覚悟はあるのか」と尋ねた。『覚悟』という言葉の重みに思考が停止する。
「あんた、この子はまだ十六だよ……」
 ママさんがそう言って僕の背中に添えた手が熱を持っていた。そこでようやく自分の拳に力が入っていることに気づく。
 この街に来てからずっと頭が混乱している。このまま父の姿を追い続けた先に、求める答えが待っているとは思えなかった。
 でも、先に進まないといけない。そんな気がした。

 アパートを出ると、まだ熱を帯びた残暑の風が頬を嘗める。
「行くしかないね……」
 ママさんが僕の頭に軽く手を添えてつぶやく。その声には僕のためではない決心が滲んでいた。
「私もあんたを見習って勇気出さなきゃ」
 ふと見上げた彼女が遠くを見つめて深くため息をつく。
「あてがあるんですか?」
「まぁね――」
 それだけ言って車に向かうママさんの背中には、僕が彼女の店に初めて入った時のような緊張感があった。
 この先に続く旅路には、僕と父だけの関係に留まらない様々な事情が見え隠れしていた。
 
#旅は続く

9/30/2025, 12:40:59 PM