utatane

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18系統のバスを待つ。
ホックを外して着ている黒い学ラン。
大きく重そうな黒いリュック。
白い有線のイヤホン。
右手にはコンビニで買ったであろうビニール傘。
左手には茶色の革製ブックカバーをつけた文庫本。

名前はまきはら こうき君。
彼の友達が「まきはら君」とか「こうき」とか、そう呼んでいた。
高校生。多分、2年生。
彼は雨の日だけこのバス停で、18系統のバスを待っている。
彼はどんなにバスが空いている日だとしても、必ずリュックを前に抱え直し、右手の傘を吊り革を持ち替えて立っていた。

初めて会ったのは、半年ほど前の雨の日。
配属が決まって引っ越してきたこの土地では、電車よりもバスの方が比較的盛んに走っていて、車も持っていない私は仕方なくバスで通勤をしている。
1本乗り遅れると30分は来ない。
中途半端に残業をすると、500mの上り坂を全速力で駆け抜けなければならないのだ。
高校を卒業して早2年、運動不足の私にはかなりこたえるものがある。
傘なんてさしていてもこの状況下では全く意味をなさず、雨は私を止めどなく降り注いでいた。
バス停にバスが来ていて、ほぼ使われることのない腕時計を見ると定刻より1分遅れいる。
ぷしゅーと発車前の準備運動のような音がバスから漏れて、あと100m。
こんなにびしょ濡れになったのに追い付けなかった、と足を止めようとした時だった。
「多分、もう1人乗ります」
坂の下から駆け上がってくる私を見つけて、まきはら こうき君はバスを止めてくれた。
その声に私はブレーキをかけそうになった足を前へと進める。
へとへとで肩で息をする私を見て、「えっと、いつもこのバス乗ってますよね」と彼は戸惑いながら聞いた。

その次の雨の日。
また同じようにバス停にいる彼を見つけて、今度は私から声をかけた。
「あの、この前はありがとうございました。覚えていないかもしれないけれど、バスを止めてくださって…」
ぺこりと頭を下げると同時に、彼がいつもイヤホンをしていることを思い出す。
突然話しかけられることですらきっとびっくりするだろうに、隣に来た人が突然頭を下げるなんて尚更驚くだろう。
そんなことを逡巡して頭をなかなか上げることが出来ずにいる私の上から、「いや、そんな」と落ち着きのある柔らかい声が降ってきた。
顔をにわかに赤らめた彼がいる。
「お役に立てたなら良かったです。俺、人の乗ってるバス把握してるとか結構気持ち悪いことしていたのかも、とか思ってて。でも、良かったっす」
右往左往していっこうに交わらない視線が、なんだか可愛かった。

【雨に佇む】

8/28/2024, 5:24:53 AM