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『雨の香り、涙の跡』

古書店員は本棚の奥でじっと息を潜めていると思われがちだが、実は様々な場所に出向かなければならない仕事だ。
古書の買取のほとんどが、売主のもとへ赴いて行われる。

本にとって湿気は大敵。
梅雨から秋にかけては特に神経をとがらせる。

今日も僅かな雨の香りに顔を顰めながら、売主の家へと急いだ。
保存状態も気になるし、雨が降り出す前に運び出したい。

書庫へ通され、埃とカビ臭さに目を瞑る。
黙々と作業を進めながら、一冊の本に目が止まった。

いや、正確には、ある本の奥付に。

愛書家によくある蔵書印。
その一部が滲んでいた。
ぽたりと落とされた雫か何かで。

注意深く本を検めると、頁の間に小さな紙切れが1枚挟まっていた。
ひっそりと隠すように。
そこに書かれた言葉を、ここに暴くことはやめておこう。

雨の香りが強まった気がする。
そっと元に戻して、また作業を再開した。

6/20/2025, 7:38:47 AM