優越感、劣等感は独り相撲だ。
あの人より勝っている。
あの人より劣っている。
他者と比較して勝った、負けた。
比較相手からすれば、寝耳に水──或いは、比較されていることにも、気付いていない可能性がある。
一喜一憂しているのは己自身のみ。
これを独り相撲と言わずして何といえば良いのだろうか。
優越感、劣等感に支配された人は、優越感劣等感を抱くもの事で頭がいっぱいになってしまっていて、本質を見落としている可能性がある。
誰しも己以外の誰かには、なれない。
他者と比較して優越感に浸ろうと、劣等感に浸ろうと、その行為に価値はほとんどなく、ただ自身を慢心させるか、卑下で己を痛めつけるかに繋がる。ならばせめて、己の形を知り得たと、学びとして昇華した方がよほど有意義なことではないだろうか。
とは言え、劣等感に苛まれている人にとってはそれが全てになってしまっている可能性もある。もしそうであったならば、それはとても苦しいことだ。
劣等感で他者の所有する能力や物に執着してしまう時は、自身がそれを手に入れられる可能性があるから、執着しているとも考えられる。
可能性があるから執着するのであって、ゼロパーセントの可能性だったら執着などなく、そもそも目にも入らない。
優越感、劣等感に浸りそうになった時ほど、己をよく観察するチャンスなのかもしれない。
7/13/2024, 1:33:58 PM