秋茜

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“伝えたい”


「行かないで」

 今しかない、と思った。立ち去ろうとするその袖を半ば反射のように掴まえる。
 自分の意地っ張りな性格と、優しいのか無関心なのか、なんでもかんでも受け入れてしまう彼によって。ひねくれにひねくれて、とうの昔に忘れてしまった素直な態度。何を言っても柔らかな笑顔で「いいよ」と返されるものだから、自分ばかりが必死な気がして、「嫌だ」という言葉を引き出そうと躍起になった。結局、何を言っても彼は変わらず笑顔で受け入れるだけだったのだけれど。

「もうやめよっか」

 そんな決定的な言葉を投げつけた瞬間でさえ。
 簡単に別れを受け入れられるほど、最初から私に興味なんてなかったんだ、とか。けれど、それならどうして、好きでもない私とずっと一緒にいてわがままを聞いてくれたんだろう、とか。
 傷つきと戸惑いと、なんだかどうしようもないくらいに様々な感情が渦巻いて。最終的に口をついた言葉は、冒頭のソレだった。

 行かないで。まだ一緒に居たい、と。

 パチリ、とひとつ瞬いた彼はいつものように朗らかに笑って頷いた。

「いいよ」
「……ぎゅってして」
「うん」

 抱きしめて、ぽんぽんと私の頭を撫でる。その手は確かに温かくて、そばにいると思うのに。心だけがいつからか、ずっと遠い。

「なんかないの?」
「なんかって?」
「私に、言いたいこととか」

 自分でも勝手だってわかってる。不満とかいっぱいあるんじゃない?

 今なら聞いてあげてもいいよ、なんてこの期に及んで素直になれない自分に嫌気がさす。だからこうなってしまったのかもなんて後悔してもどうしようもない。

「言いたいこと……」

 オウム返しに口にした言葉が困ったように途切れるのに耳を塞ぎたくなる。だって、こんな状況に至っても何も思ってもらえないなら、本当に惨めだ。

「伝えたいことならたくさんあるんだ」
「……え?」

 想定とは違う答えに顔を上げる。穏やかな、いつも通りの表情をしていると思っていた彼は、意外にもその面差しに緊張の気配を纏っていた。

「照れくさいけど──大好きだし、何より大切だって思ってる。それが行動から伝わればいいなって」

 俺は、言葉にするのが下手だから。ため息を吐くみたいに紡がれた台詞は思いもよらぬものだった。

「だから、なんでも“いいよ”って言うようにしてたんだけど。うまく伝わらなかったみたいだ」

 このやり方は良くなかった。ごめんね。と背中に触れる手に力が入る。一方、こちらの肩の力の抜け具合といったら。

「わかるか、バカ……!」

 不器用にも程がある。人の感情を理解できないロボットでもあるまいに。

「泣かないで」
「ッ! 泣いてないし」
「……別れる?」
「別れない!」

 あーあ。バカみたいだ、二人して。
 伝えたい気持ちは言葉にしないとわからないのに。

「……私も、大好きなんだから」

2/13/2024, 12:08:44 PM