「大切なもの、くださいな。代わりにあなたのお願い1つ、なんでも叶えてあげるから。」
フードを被った幼子は、小さくて可愛らしい手のひらを此方に差し出す。
白くて柔らかそうなその手は、何かを催促するように揺れている。
「……大切なもの?」
「くださいな、くださいな。代わりにお願い、叶えてあげる。」
歌うように独特の節をつけて、幼子が言う。
フードで顔の見えないその子の声を、何処かで聞いたことがあるような気がする。
大切なもの、一体何だろうか。
家族?友人?居場所?お金?それとも、自分の命か。
どれも大切だが、どうにも違う気もする。
「大切なものって、なに?」
「大切なもの、あなたの思い出。楽しかったこと、悲しかったこと、怒ったこと、嬉しかったこと。
みんな欲しい、ぜんぶ欲しい。あなたの思い出、ぼくは欲しい。」
「思い出……」
「叶えるお願い、なんでもいい。なんでも叶う。
だから、思い出くださいな。」
早く、早くと幼子の手が急かす。
思い出。
今まで生きてきた分の思い出と引き換えに、1つだけなんでも願いが叶うという。
とても、魅力的に聞こえる話だ。
願いはなんでもいいと言う。
億万長者になることも、世界の頂点に立つこともできるのだろう。
だけれど、それは。
本当に、今までの思い出と引き換えるに値するものだろうか。
「……あげない。」
「?」
「悪いけど、僕の思い出はあげられない。どんな願いが叶うとしてもね。」
「……」
幼子が口を閉ざす。
此方を少し見上げたその顔は、相変わらずフードに隠れていて見えない。
やがて幼子は、ゆるりと口元を緩めた。
「あなたは正しい、間違えなかった。
あなたの思い出、あなただけのもの。決して忘れないで。」
幼子の姿が、だんだんぼやけていく。
姿が見えなくなる寸前、外れたフードの下から現れたのは、微笑む幼い自分の顔だった。
[大切なもの]
[1つだけ]
4/3/2024, 3:41:30 PM