真実の鏡というものがあるとするならば、それはきっと彼女の目のことだろうとずっと思っている。
「こっちを見て」
意思のこもった静かな声。いつも遠慮がちに服の裾を引くやわらかな手は、今このときだけは力強く、それでも男の自分からすれば振り払うなどいともたやすいほどの加減で、手首のあたりを掴んでいる。記憶にあるよりも大きなその手に、ああ、成長したな――と場違いに思う。
少女と呼ぶには大人びて、女性と呼ぶにはいまだ幼さの抜けきらない年頃だ。どちらかといえば小柄である彼女は、長身の己と並ぶとことさらに幼く見える。それをひそかに気にして、一時期などはともに連れ立って歩くのをひどく嫌がっていた。あの頃に比べれば、今の彼女はずいぶんと垢抜けている。日々楽しげに大学の友人たちとやれ化粧が、服が、と研究していた成果だろう。
ああ、本当に、成長した――。
「見ているぞ。どうした?」
覗きこむように背を曲げて視線を合わせれば、こちらを見上げる落栗色の双眸が一つ瞬き、見返してくる。どれだけ背が伸びても、垢抜けても、そのまなざしとこちらを見透かすような目だけは幼い頃から変わらない。あらゆる虚飾を剥ぎ、すべての嘘を許さず、奥底の真実を捉え、真実のみを告げろと望む冷たい無垢な色。
愛おしく、そしてなによりも恐ろしい、目だ。
「こっちを見て、先生」
「見ているよ」
「先生、先生。あのね」
『真実の鏡』がまっすぐに己を映している。やわらかな笑みを浮かべて見せ、腹の底にはなにも抱えていないのだと、清廉潔白なのだと言わんばかりの己が、そこにいる。
その先の言葉を飲みこんではくれないだろうか。柄にもなく、祈りのように思う。できることならば問わず、目をそらし、変わらない日々へと戻ってほしい。そうしていつものように笑って、怒って、レポートが終わらないとむすくれる姿を見せてほしい。そうすればきっと己はいつも通り、笑い、なだめ、助けになれることはあるかと聞くのに。
――お前の庇護者であると、まだ、正しくいられるというのに。
(お題:君の目を見つめると)
4/6/2023, 3:25:45 PM