アシロ

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 私の家の近くには、もうずっと前に廃業となりそのまま放置されたままの、規模の小さな遊園地跡地がある。まだ営業をしていた頃は、小規模でアトラクションも少ないとはいえそれなりに地域住民達からの評判は良かったらしく、お客さんの入りもまぁまぁだったそうだ。だが、時代が進んでいくにつれてもっと大きな遊園地、もっと刺激的なアトラクション、もっと心躍るテーマパークなどが日本各地に登場し、客足がそちらの方へ流れていってしまった結果、呆気なく経営不振となり閉園することとなってしまったらしい。それが、もう今から何十年と前のこと。未だに解体もされず当時の姿のまま時代に取り残され続けている哀れな遊園地は、アトラクションなど随分と年季が入り錆も酷く、「遊園地」というよりは「廃墟」と表現した方がしっくりくるほどに寂れ、何処か異質な空気をどんよりと纏わせていた。
 あれは、確か小学校の高学年ぐらいのことだっただろうか。私は休みの日に一人、廃墟と化した遊園地の中を徘徊していた。入口には当然のように「立ち入り禁止」と張り紙のされた赤い三角形のポールが幾つも並んでいたが、逆に言えば、それだけしかなかった。入口の両開きの扉も既に錆び付き朽ち果て綺麗に閉まってなどいなかったし、風に揺られてキィキィとブランコを漕ぐ時のような音を微かに鳴らしているだけ。あの頃の私にはそんな自覚はなかったけれど、きっと廃墟という非現実的な場所に心惹かれたのだと思う。とにかく私は入口を難なく突破し、園内へと足を踏み入れたのだった。
 初めて入る場所におっかなびっくり歩みを進めていたが、ある場所まで来た時私は思わず「わぁ······!」と感嘆の声を上げた。それは、何頭もの馬を内に囲ったメリーゴーランドだった。他のアトラクション同様、色褪せ錆び付いてはいたが、ファンシーでメルヘンな造りのそれは子供の胸をときめかせるには十分で、私はゆっくりとメリーゴーランドへと近づいていき、かつては綺麗な装飾が施されていたのであろう白馬達をじっくりと観察して回った。
 ······その時にそこで、私は出会ってしまったのだ。後に自分の人生を大きく左右させるほどの存在となる、その人物と。
 その男は、まるでずっと昔からそこに居たかのように、この風景と一体化しているかの如く自然に、メリーゴーランド内の一頭の馬に腰掛け、足を組み、左側の瞳だけで私をジッと見下ろしていた。顔の右半分は少し煤けたような金色の仮面で覆われており素顔は見えず、左半分は仮面こそつけていないものの白塗りされた肌、黒く濃く縁取られた目、紅く塗られ不自然なほどに口角を上げている唇といった、ピエロを彷彿とさせるような化粧が施されていた。更に黒のハットを被り、まるで一昔前に西洋の貴族が着ていたかのような黒の衣装を身に纏い、両手には白手袋を着用していて。非現実的な場所に、更なる非現実的要素が加わったその奇妙としか言えない光景は、しかし私の心を弾ませる一方で、不思議なことに恐怖だとか怯えといった感情は微塵も湧いてこなかった。
「ねえ! そこで何してるの?」
 私は臆することなく、そのあまりにも異端すぎる風貌の男に声を掛けた。男はピエロメイクで保たれた笑みのまま、私の問いに答える。
「お客さんを待っているんだ」
「お客さん?」
「そう、お客さん」
 男の言う「お客さん」が何なのか、私にはピンとこなかった。だってここはとっくの昔に潰れた遊園地で、そんな遊園地にお客さんなんて来るわけがない。そもそも、彼の言う「お客さん」が来たとして、彼は一体どうするのか。何をするのか。「お客さん」を欲しているということは、何か商売とか見世物とか、そういうことをしている人なんだろうか。色々と頭の中で憶測は飛び交うものの、答えには辿り着けない。だから、私はこう言ったのだ。
「私、お客さんだよ!」
「君がお客さん? 本当に?」
「本当だよ! 私、今日はここに遊びに来たんだもん!」
 すると男はただでさえ吊り上がって見える口角を更に上へと押し上げ、愉快そうに笑いながら両の手で優雅に拍手をする。
「そうかそうか、君が私のお客さんだったのか! これはこれは、大変失礼をば」
 男は片手でハットを取り、そのまま胸の前まで持っていったあと流暢に頭を垂れる。そうして姿勢とハットを元に戻し、「では」と。
「それでは、お客様に特別にお見せ致しましょう。私の秘密、宇宙の秘密。さあさ、とくとご覧あれ!」
 そう言うと男は、右手の甲をこちら側へと向けた状態で手袋をゆっくりと外していく。どんどん面積を増していく男の素肌は、まるで海外の人のように······いや、それ以上に白かった。青白い、と言った方が正しいのかもしれない。その時の私は、「腕にまでお化粧してるのかなぁ」ぐらいにしか思っていなかったけれど。
「心の準備はいいですか? いきますよ? では、参、弐、壱······零!」
 カウントが終わったと同時に、男は手袋が外された右手をバッと裏返し、手のひらを私の目の前へ翳した。そこに広がる光景に、私は口を開けて唖然とするしかなかった。
 男の手のひらには······宇宙があった。手のひらの真ん中辺りから皮膚が上下に裂け、その裂けた中央部分には何とも不思議なことに······宇宙の光景が、広がっていたのだ。ぱち、ぱち、と意識して瞬きを繰り返してみても、目に映るものは何も変わらず、数々の星々と時々大きな何らかの惑星が流れていく、リアルの宇宙空間が存在していた。
 私は呆気にとられながらも、目の前に広がる小さく狭い“宇宙”が大層魅力的に思えて······無意識のうちに、そこへ己の指を──。
「はぁい! 今日はこれでおしまいです!」
 目の前から“宇宙”が突然消え、ハッとして男を見上げると、男は既に右手に手袋を装着し終え、ニッコリとこちらに向かって微笑んだ。
「気に入って頂けましたか? お客様?」
「〜ッ、うん! 凄かった! ねえ、あれ本物!? 本当に手の中に宇宙が入ってるの!?」
「お気に召して頂けたならこれ幸い! そしてお客様には大変申し訳ないのですが、“これ”は私の商売道具ゆえ······非常に心苦しいですが、詳細を語ること能わず、なので御座います······要するに、企業秘密というヤツで御座います。その点に関しましてはご理解頂きたく······」
「あ、その、全然! 全然大丈夫です!」
 そう言い、またもや恭しく頭を下げるものだから、私は慌てて彼の頭を上げさせた。
「あの! また見に来てもいいですか······? あっ、お金! いくら払えばいいですか!?」
 小さな小銭入れを出しながら男に聞けば、男は気さくそうな笑い声を上げた。
「いえいえ! お代など結構で御座います! 初めてのお客様ですし、初回サービスということで!」
「えっ······でも······あんなに凄いもの見せてもらったのに······」
 私が躊躇っていると、男はわざとらしく片手を顎に当て、ウーンと唸り。
「では、こう致しましょう。こちらとしては本当にお代など結構なので御座いますが、それでお客様が納得いかないということであるならば、仕方ありません。いつか、いつの日か。何日先か、何年先か、何十年先か······この私にも正確に“いつ”とはお答え出来かねますが、いつか何処かのタイミングで一度だけ、お代を頂戴させて頂きましょう。なぁに、お代と言っても大したものでは御座いませぬ。それでご納得頂けますか?」
 果たしてそれが公平なことなのかどうなのか、私にはよくわからなかったのだが······これ以上困らせてしまうのも申し訳なかったので、私はコクリと首を縦に振った。
「あの! 絶対また見に来ますから! 今日はどうもありがとうございました、宇宙さん!」
 そう言いペコリと頭を下げ、私はメリーゴーランドを後にする。
「またのお越しをお待ちしております、お客様」
 途中何回か名残惜しくて振り返ってしまったのだが、「宇宙さん」はずっとニコニコしながら手を振り続けてくれていた。それが、私にはとっても嬉しくて。
 ······それから私は、頻繁に「宇宙さん」の所へ通い詰めた。中学生になり、高校生になっても、それは続いた。その間、「お代」の請求は一度もないまま。

「······来たよ、宇宙さん。こんにちは」
 白馬の足元に背を預けるようにして、辛うじて床に座ることが出来ている「宇宙さん」に、声を掛けた。
「──、──······」
「······もう、喋る元気もない?」
 宇宙さんはパクパクと口を開閉させるが、声を発声させることはもう難しいみたいだった。
「······何で宇宙さんはさぁ、こんなんになるまで“お代”、請求しなかったの?」
「──······ぁ゙」
「私ね、とっくに気付いてた。宇宙さんが人間じゃないことも、アレを見せてくれる度にどんどん弱っていくのも。きっと、すっごくエネルギー使うんだよね、アレ? なのに宇宙さんたら、エネルギー補給しないから。······ああ、“お代”だったっけ」
「············」
 宇宙さんは私の片手を取り、手のひらを上に向けさせると、そこに自分の指で文字を書き始めた。
「······は、じ、め、て、の、き、や、く······初めての客? アッハハ! 優しいね、宇宙さんは。でも、もういいよ。私、これまでたくさん宇宙さんに楽しませてもらったもん。だからそろそろ“お代”、ちゃんと払わせてね?」
「······、············」
 私は宇宙さんの左手の手袋に手を掛け、そっと抜き取る。そうして、手のひらを上に向けさせた。そこは右手同様、皮膚が上下に割れていて······ただ、右手と違うのは、そこの中央にあるのは歯が生え揃った大きな口、だということだ。
 私の左手の手首を、宇宙さんの右手で握られた。多分、引き止めたいんだと思う。でも、宇宙さんの力はもう本当に弱々しくて。私が大した力を入れずとも、左手を少し上に上げれば宇宙さんの手は呆気なく外れ、床へと落ちる。
「宇宙さんは優しすぎるからさぁ。もしも次のお客さんが見つかったら、情なんか捨ててもっと早くにお代請求しなね? じゃないとまたこんなふうになっちゃうんだから」
 宇宙さんの左手から、ガチガチと音がする。上下の歯が喧しく音を立て、早く食事をさせろと急いてくる。
 私はゆっくりとそこに人差し指を近付けていって。
「じゃあね、宇宙さん!」
 私の体は瞬く間に口の中へと吸い込まれ、何度も何度も咀嚼され続けた。
 ガチガチと煩い歯の音の向こうで、誰かの啜り泣くような声が最期に聞こえたような気がした。

1/18/2025, 7:31:56 PM