香草

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「帽子かぶって」

灰色のパーカーとサイズの合っていないジーンズ。
顔の2/3を覆うほどのマスク。
真っ黒なサングラスを手に取ったが、さすがに不審者すぎて目立つと思い、帽子を被った。

家という安全圏を一歩出ると、自分がどれだけ服を着ていても裸にされたような気分になる。
職業病か、誰もいないのに全ての方向から視線を感じて、無意識に背筋が伸びる。
迎えの車はどこだ…?
スマホを頼りに路地裏の怪しそうな車を探す。
不自然な遮光ガラスの車を見つけるとすぐに乗り込んだ。
「お疲れ様です。今日は…」
運転手はこちらをまったく見ずに淡々と手帳を読み上げる。
もし私が影武者だったらどうするのだろう。
ありえない妄想をしながら車の外を見る。

今日は桜が勘違いしそうなほど暖かい。
雲一つない青空だったが、遮光ガラスから見る青空は低く狭かった。
本当は高く鮮やかで美しいはずなのに、そう見えない。本当の空を知っているからこそ虚しい。

「聞いてますか?」
バックミラー越しに鋭い目が合った。
「あ、すみません。」
反射で謝ってしまった。ちゃんと聞いていたのに。そもそも読み上げるほどのスケジュールなんてほぼ無いに等しいだろう。
「今日は雑誌の撮影だけです。春のコーデ特集で名前は一応載せてもらえるそうですが、3コーデのみの撮影になります。」
だけ、のみ、限定的な表現が耳に障る。
冷めた目がまたこちらをのぞいて、ため息が聞こえてきた。
「日焼けだけはしないようにしてくださいね。」
太陽のようにまぶしい世界に憧れて飛び込んだ世界は、美しい神たちの戦場だった。
人間の私はそんなオリンポスの空気に馴染めなかったが、神への憧れを止められず山にしがみついた。
ただ、もう太陽が痛い。自分の惨めさが浮き彫りになって足を引っ張る。

私はすべての視線と光を避けるように帽子のつばを下げた。

1/28/2025, 5:30:38 PM